・・・自分のうけているこの一個のいのちがこの宇宙とひとつに帰して、もはや生きるもよし、死ぬるもよしという心境に落ち着くところにあるのだ。それは人間にとって、女にとっても男にとっても第一義の問題である。宗教がなくてもいいということが理不尽なのは、こ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・るまいと遠慮なく発議者に斬り込まれそれ知られては行くも憂し行かぬも憂しと肚のうちは一上一下虚々実々、発矢の二三十も列べて闘いたれどその間に足は記憶ある二階へ登り花明らかに鳥何とやら書いた額の下へついに落ち着くこととなれば六十四条の解釈もほぼ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・私なども、女房の傍に居ても、子供と遊んで居ても、恋人と街を歩いていても、それが自分の所謂「ついに」落ち着くことを得ないのであるが、この旅にもまた、旅行上手というものと、旅行下手というものと両者が存するようである。 旅行下手というものは、・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・大地にわが体の落ち着くまでに敵を仕留むるの覚悟をせよ」とかいう文句がある。空中殺人法を説いたものである。現代では競技会でメダルやカップやレコードを仕留めるだけが目的の空中曲技も、昔の武士は生命のやりとり空中組み打ちの予行練習として行なったも・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・底に当たる節の隔壁に錐で小さな穴を明けておいて開いた口を吸うと羊羹の棒がなめらかに抜け出して来る、それを短く歯でかみ切って食う、残りの円筒形の羊羹はちょっと吹くとまた竹筒の底に落ち着くのである。また吸い出しては食い切る。きたないと言えばきた・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・わたくしがあなたを思うほど、あなたがわたくしを思って下さるまでは、わたくしの心は永久に落ち着くことは出来まいと云うのでございます。わたくしを愛して下さることがあなたに出来るだろうかと云うのでございます。 最初にあなたに上げた手紙に書き添・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・なぜそう平らだかとならば水はみんな下に下ろうとしてお互い下れるとこまで落ち着くからだ。波ができたら必ずそれがなおろうとする。それは波のあがったとこが下ろうとするからだ。このように水のつめたいこと、しめすこと下に行こうとすることは水の性質なの・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・どうせいつだって気の落ち着くような身の上ではないのだけど」「いったいいつどうして来たのだ」「おとつい来て、きのうあなたにお目にかかったのだわ」「どうして来たのだ」「去年の暮からウラヂオストックにいたの」「それじゃあ、あの・・・ 森鴎外 「普請中」
・・・フィンクはその影がどこへ落ち着くか見定めようと、一しょう懸命に見詰めている。しかし影は声もなく真の闇の中に消えてしまう。そしてどこかで長椅子がぎいぎいいう。旅人が腰を据えたのであろう。 部屋の中はまたひっそりする。その時フィンクは疲れて・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫