・・・ 蒼空の光も何物か空中にあって、太陽の光を散らすもののあるためと考えなければならない。もし何物もない真空であったら、太陽と星とが光るだけで、空は真黒に見えなければならない。それで昔の学者はこれを空中の水滴やまた普通の塵埃のためと考えたそ・・・ 寺田寅彦 「塵埃と光」
・・・例えば飛行機に乗ってこれから蒼空へ飛び出そうというような種類の緊張はあまり見つからなかった。 日本でも田舎へ行けば、東京とちがった顔が見られるかもしれない。これから旅行する機会があったらそのつもりで注意して見たいと思っている。尤も田舎に・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・しかし少数のある人々はこの生涯の峠に立って蒼空を仰ぐ、そして無限の天頂に輝く太陽を握もうとして懸崖から逆さまに死の谷に墜落する。これらの不幸な人々のうちのきわめて少数なあるものだけは、微塵に砕けた残骸から再生する事によって、始めて得た翼を虚・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・ 寒からぬ春風に、濛々たる小雨の吹き払われて蒼空の底まで見える心地である。日本一の御機嫌にて候と云う文句がどこかに書いてあったようだが、こんな気分を云うのではないかと、昨夕の気味の悪かったのに引き換えて今の胸の中が一層朗かになる。なぜあ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・ かくて、地上には無限に肥った一人の成人と、蒼空まで聳える轢殺車一台とが残るのか。 そうだろうか! そうだとするとお前は困る。もう啖うべき赤ん坊がなくなったじゃないか。 だが、その前に、お前は年をとる。太り過ぎた轢殺車がお前・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・雄々しい小禽と一房の梢を前景として、初冬の雲が静かに蒼空の面を掠め、溶け合い、消え去って行く。――私はひとりでに、北方の山並を思い起した。今頃は、どの耕野をも満して居るだろう冬枯れの風の音と、透明そのもののような空気の厳かさを想った。底冷え・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・主我心の蛇に喉を噛まれながら、はるかなる蒼空を見上げている「人間」の姿を。 それは実に人類の運命であった。人は誠実に生きる限り――生を避けて、生きながら死んだものにならない限り――才なき者は才なきままに、弱き者は弱きままに、人類の運命を・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・久遠の焔のように蒼空を指さす高塔がある。それは人の心を高きに燃え上がらせながら、しかも永遠なる静寂と安定とに根をおろさせるのである。相重なった屋根の線はゆったりと緩く流れて、大地の力と蒼空の憧憬との間に、軽快奔放にしてしかも荘重高雅な力の諧・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
・・・ たとえば私がカサカサした枯れ芝生の上に仰臥して光明遍照の蒼空を見上げる。その蒼い、極度に新鮮な光と色との内に無限と永遠が現われている。そうしてあたかもその永遠の内から湧きいでたように、あたかも光がそれを生んだように、私の頭の上には咲き・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫