・・・そこには蕎麦や、飯が供えてあった。手洗鉢の氷は解けていなかった。 隣家を外から伺うと、人声一つせず、ひっそりと静まりかえっていた。たゞ、鶏がコツ/\餌を拾っているばかりだ。すべてがいつもと変っていなかった。でも彼は、反物が気にかゝって落・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・お蕎麦屋の五円切手がはいっていた。ちょっとの間、僕には何も訳がわからなかった。五円の切手とは、莫迦げたことである。ふと、僕はいまわしい疑念にとらわれた。ひょっとすると敷金のつもりなのではあるまいか。そう考えたのである。それならこれはいますぐ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・てるは、千住の蕎麦屋に住込みで奉公する事になった。千住に二年つとめて、それから月島のミルクホールに少しいて、さらに上野の米久に移り住んだ。ここに三年いたのである。わずかなお給金の中から、二円でも三円でも毎月かかさず親元へ仕送りをつづけた。十・・・ 太宰治 「古典風」
・・・お蕎麦屋の門口にれいの竹のお飾りが立っている。色紙に何か文字が見えた。私は立ちどまって読んだ。たどたどしい幼女の筆蹟である。 オ星サマ。日本ノ国ヲオ守リ下サイ。 大君ニ、マコトササゲテ、ツカエマス。 はっとした。いまの女の子たち・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・ずいぶん奇抜な句が飛び出して愉快であったが、そのときの先生の句に「つまずくや富士を向こうに蕎麦の花」というのがあったことを思い出す。いかにも十分十句のスピードの余勢を示した句で当時も笑ったが今思い出してもおかしくおもしろい。しかしこんな句に・・・ 寺田寅彦 「思い出草」
・・・その中の銀一枚はこれで蕎麦をおごろうと御竹さんの帯の間へ。残りは巾着へ、チャラ/\と云うも冬の音なり。今日は少し御早くと昼飯が来て、これでまたしばらくと云うような事を云い合うて手早くすます。しばらくすると二階で「汽船が見えました」と御竹の声・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・あの絵で見ると白木屋の隣に東橋庵という蕎麦屋がある。今は白木屋の階上で蕎麦が食われる。こんなつまらない事を考えたりする。「駿河町」の絵を見ると、正面に大きな富士がそびえて、前景の両側には丸に井桁に三の字を染め出した越後屋ののれんが紫色に刷ら・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・此書は明治四十年の出版であるが、鍋焼温飩の図を出して、支那蕎麦屋を描いていない。之に由って観れば、支那そばやが唐人笛を吹いて歩くようになったのは明治四十年より後であろう歟。 支那蕎麦屋の夜陰に吹き鳴す唐人笛には人の心を動す一種の哀音があ・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・芝居の前でお神さんに別れて帰りに阿久と二人で蕎麦屋へ入った。歩いて東森下町の家まで帰った時が恰度夜の十二時。 かつて深川座のあった処は、震災後道路が一変しているので、今は活動館のあるあたりか、あるいは公設市場のあるあたりであるのか、・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・女房も後には其見えない女の前に蕎麦の膳を運んでやるようになった。一つには何処へも出たことのない女の身にはなまめかしい姿の瞽女に三味線を弾かせて夜深までも唄わせることがせめてもの鬱晴しであったからである。三 或秋のことであった・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫