・・・何時も妙に寂しそうな、薄ら寒い影が纏わっている。僕は其処に僕等同様、近代の風に神経を吹かれた小杉氏の姿を見るような気がする。気取った形容を用いれば、梅花書屋の窓を覗いて見ても、氏の唐人は気楽そうに、林処士の詩なぞは謡っていない。しみじみと独・・・ 芥川竜之介 「小杉未醒氏」
・・・同時に薄ら寒い世界の中にも、いつか温い日の光のほそぼそとさして来ることを感じた。 芥川竜之介 「寒さ」
・・・それらは皆電燈の光に、この古めかしい応接室へ、何か妙に薄ら寒い、厳粛な空気を与えていた。が、その空気はどう云う訣か、少将には愉快でないらしかった。 無言の何分かが過ぎ去った後、突然少将は室外に、かすかなノックの音を聞いた。「おはいり・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・その中にただ薄ら寒い防虫剤の臭いばかり漂っている。中村は室内を見渡した後、深呼吸をするように体を伸ばした。それから大きい硝子戸棚の中に太い枯れ木をまいている南洋の大蛇の前に立った。この爬虫類の標本室はちょうど去年の夏以来、三重子と出合う場所・・・ 芥川竜之介 「早春」
・・・その路をやっと登り切ったら、今度は高い崖の向うに、広広と薄ら寒い海が開けた。と同時に良平の頭には、余り遠く来過ぎた事が、急にはっきりと感じられた。 三人は又トロッコへ乗った。車は海を右にしながら、雑木の枝の下を走って行った。しかし良平は・・・ 芥川竜之介 「トロッコ」
・・・ 最後に或薄ら寒い朝、ファウストは林檎を見ているうちに突然林檎も商人には商品であることを発見した。現に又それは十二売れば、銀一枚になるのに違いなかった。林檎はもちろんこの時以来、彼には金銭にも変り出した。 或どんより曇った午後、ファ・・・ 芥川竜之介 「三つのなぜ」
・・・誠や温泉の美くしさ、肌、骨までも透通り、そよそよと風が身に染みる、小宮山は広袖を借りて手足を伸ばし、打縦いでお茶菓子の越の雪、否、広袖だの、秋風だの、越の雪だのと、お愛想までが薄ら寒い谷川の音ももの寂しい。 湯上りで、眠気は差したり、道・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 薄ら寒い夏の朝である。空は灰色に見えている。道で見た二三本の立木は、大きく、不細工に、この陰気な平地に聳えている。丁度森が歩哨を出して、それを引っ込めるのを忘れたように見える。そこここに、低い、片羽のような、病気らしい灌木が伸びようと・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ 薄ら寒い夏の朝である。空は灰色に見えている。道で見た二三本の立木は、大きく、不細工に、この陰気な平地に聳えている。丁度森が歩哨を出して、それを引っ込めるのを忘れたように見える。そこここに、低い、片羽のような、病気らしい灌木が、伸びよう・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ 甲府へ来たのは、四月の、まだ薄ら寒い頃で、桜も東京よりかなりおくれ、やっとちらほら咲きはじめたばかりであったが、それから、五月、六月、そろそろ盆地特有のあの炎熱がやって来て、石榴の濃緑の葉が油光りして、そうしてその真紅の花が烈日を受け・・・ 太宰治 「薄明」
出典:青空文庫