・・・ 四十前後の、細面の、薄化粧した女中が、どてらを持って部屋へはいって来て、私の着換えを手伝った。 私は、ひとの容貌や服装よりも、声を気にするたちのようである。音声の悪いひとが傍にいると、妙にいらいらして、酒を飲んでもうまく酔えないた・・・ 太宰治 「母」
・・・そこへ外から此処の娘が珍しく髪を島田に上げて薄化粧をして車で帰って来た。見かえるように美しい。いつになく少しはにかんだような笑顔を見せて軽く会釈しながらいそいそ奥へはいった。竹村君は外套の襟の中で首をすくめて、手持無沙汰な顔をして娘の脱ぎ捨・・・ 寺田寅彦 「まじょりか皿」
・・・この周囲と一致して日本の女の最も刺戟的に見える瞬間もやはり夏の夕、伊達巻の細帯にあらい浴衣の立膝して湯上りの薄化粧する夏の夕を除いて他にはあるまい。 町中の堀割に沿うて夏の夕を歩む時、自分は黙阿弥翁の書いた『島鵆月白浪』に雁金に結びし蚊・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・ 五年生だったとき、一人の同級生が、ある日きれいに薄化粧して来た。朝の第一時間がはじまったとき、担当の年をとった女先生から、その顔をすぐ洗って来るようにと命ぜられた。その一人が教室に戻って来るまで授業ははじめられず、みんな着席したまま固・・・ 宮本百合子 「歳月」
・・・どうも薄化粧をしているらしい。それと並んで絞の湯帷子を著た、五十歳位に見える婆あさんが三味線を抱えて控えている。 浪花節が始まった。一同謹んで拝聴する。私も隅の方に小さくなって拝聴する。信仰のない私には、どうも聞き慣れぬ漢語や、新しい詩・・・ 森鴎外 「余興」
出典:青空文庫