・・・ そこへ行くとさすがに都会の人の冷淡さと薄情さはサッパリしていて気持ちがいい。大雨の中を頭からぬれひたって銀座通りを歩いていてもだれもとがめる人もなければ、よけいな心配をする人もない。万一受けた親切の償却も簡易な方法で行なわれる。 ・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・そんなに薄情な人とは、私しゃ今まで知らなかッたよ。まさかに手拭紙にもされないからとは、あんまり薄情過ぎるじゃないかね。平田さんをそんなに忘れておしまいでは、あんまり義理が悪るかろうよ」「だッて、もう逢えないと定まッてる人のことを思ッたッ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・姑必ずしも薄情ならず、其安産を祈るは実母と同様なれども、此処が骨肉微妙の天然にして、何分にも実母に非ざれば産婦の心を安んずるに足らず。また老人が長々病気のとき、其看病に実の子女と養子嫁と孰れかと言えば、骨肉の実子に勝る者はなかる可し。即ち親・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ けだし慶応義塾の社員は中津の旧藩士族に出る者多しといえども、従来少しもその藩政に嘴を入れず、旧藩地に何等の事変あるも恬として呉越の観をなしたる者なれば、往々誤て薄情の譏は受るも、藩の事務を妨げその何れの種族に党するなどと評せられたるこ・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・三年父母の懐をまぬかれず、ゆえに三年の喪をつとむるなどは、勘定ずくの差引にて、あまり薄情にはあらずや。 世間にて、子の孝ならざるをとがめて、父母の慈ならざるを罪する者、稀なり。人の父母たる者、その子に対して、我が生たる子と唱え、手もて造・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・にしたら、もう官僚機構の腐敗のままに薄情きわまる扱いをして恥も知らないやりかたは、何と「赤紙一枚」を思わせるだろう。きょうの辛さに喘いでいる数十万の未亡人、孤児、戦傷者たちは、かつてはすべて護国の宝であったのだ。法隆寺の例にむきだされた行政・・・ 宮本百合子 「国宝」
・・・ 藪かげのこみちを歩きながら、この俗っぽい、商人の薄情な琴平に、こういう裏みちもある、ということをなつかしく感じた。慾とくをはなれた年月の間この町にも苔のついた石段が、穏和な生活の道としてあることに安らぎを感じた。 数年前、弟が出征・・・ 宮本百合子 「琴平」
・・・慾張りでなくっても食べて行けるし、薄情にならなくたって、老後の安心は守られます。そういう条件を、自分たちの生活の中にどういう風に発見して、実現してゆくかということについて熱心に研究し、実行する。そのことが生存本能の現代史の中でのあらわれです・・・ 宮本百合子 「社会と人間の成長」
・・・私は彼らの眼に冷淡な薄情な男として映るのです。 ことに私は時々何かの問題のためにひどい憂愁に閉じ込められる事があります。私はいくらあせってもこの問題を逃避しない限りある「時」が来るまでは自分をどうすることもできないのです。私もまさかこの・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・表面上には交誼を続けて薄情のそしりを避けるなどは、私には到底できないことであった。私は徹底を要求するために、態度の不純に堪え得ないがために、ついに彼らを捨てた。――それを何ゆえに苦しむのか。 われわれのように小さい峠を乗り超えて来たもの・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫