・・・ その麓まで見通しの、小橋の彼方は、一面の蘆で、出揃って早や乱れかかった穂が、霧のように群立って、藁屋を包み森を蔽うて、何物にも目を遮らせず、山々の茅薄と一連に靡いて、風はないが、さやさやと何処かで秋の暮を囁き合う。 その蘆の根を、・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・畔づたいに廻りながら、やがて端へ出て、横向に桃を見ると、その樹のあたりから路が坂に低くなる、両方は、飛々差覗く、小屋、藁屋を、屋根から埋むばかり底広がりに奥を蔽うて、見尽されない桜であった。 余りの思いがけなさに、渠は寂然たる春昼をただ・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 三 こんな年していうことの、世帯じみたも暮向き、塩焼く煙も一列に、おなじ霞の藁屋同士と、女房は打微笑み、「どうも、三ちゃん、感心に所帯じみたことをおいいだねえ。」 奴は心づいて笑い出し、「ははは、所・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・一方は、日当の背戸を横手に取って、次第疎に藁屋がある、中に半農――この潟に漁って活計とするものは、三百人を越すと聞くから、あるいは半漁師――少しばかり商いもする――藁屋草履は、ふかし芋とこの店に並べてあった――村はずれの軒を道へ出て、そそけ・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ 居まわりの、板屋、藁屋の人たちが、大根も洗えば、菜も洗う。葱の枯葉を掻分けて、洗濯などするのである。で、竹の筧を山笹の根に掛けて、流の落口の外に、小さな滝を仕掛けてある。汲んで飲むものはこれを飲むがよし、視めるものは、観るがよし、すな・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ 路の両側しばらくのあいだ、人家が断えては続いたが、いずれも寝静まって、白けた藁屋の中に、何家も何家も人の気勢がせぬ。 その寂寞を破る、跫音が高いので、夜更に里人の懐疑を受けはしないかという懸念から、誰も咎めはせぬのに、抜足、差足、・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・ 近くに藁屋も見えないのに、その山裾の草の径から、ほかほかとして、女の子が――姉妹らしい二人づれ。……時間を思っても、まだ小学校前らしいのが、手に、すかんぼも茅花も持たないけれど、摘み草の夢の中を歩行くように、うっとりとした顔をしたのと・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・そこらの森陰のきたない藁屋の障子の奥からは端唄の三味線をさらっている音も聞こえた。こうしてわが大東京はだらしなく無設計に横に広がって、美しい武蔵野をどこまでもと蚕食して行くのである。こんなにしなくても市中の地の底へ何層楼のアパートメントでも・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
出典:青空文庫