ふじわらのさだいえ【藤原定家】
⇒ふじわらのていか
ふじわらのさねさだ【藤原実定】
[1139〜1192]平安末期の公卿・歌人。左大臣。家集「林下集」、日記「庭槐抄」など。後徳大寺 (ごとくだいじ) 実定。
ふじわらのさねすけ【藤原実資】
[957〜1046]平安中期の公卿。祖父実頼の養子。三条天皇の信任が厚く、右大臣となる。道長・頼通に迎合せず、賢右府と称された。有職 (ゆうそく) 故実に詳しく「小野宮年中行事」を著す。日記「小右記」は当時を知る基本史料。
ふじわらのさねより【藤原実頼】
[900〜970]平安中期の公卿。忠平の子。小野宮殿と称された。円融天皇の摂政に就任。有職 (ゆうそく) 故実に詳しく、小野宮流の始祖。著に有職故実書「小野宮故実旧例」、歌集「清慎公集」。日記「水心記」があったが散逸。
ふじわらのしゅんぜい【藤原俊成】
[1114〜1204]平安後期の歌人。名は「としなり」とも。定家の父。法名、釈阿。幽玄体の歌を確立し、王朝歌風の古今調から中世の新古今調への橋渡しをした。後白河院の院宣により、「千載和歌集」を撰進。家集「長秋詠藻」、歌論書「古来風体抄」など。
ふじわらのしゅんぜいのむすめ【藤原俊成女】
[1171ころ〜1252ころ]鎌倉前期の歌人。父は藤原盛頼、母は藤原俊成の娘。俊成の孫で養女となる。源通具の妻。新古今集の代表的女流歌人。家集に「俊成卿女集」がある。嵯峨禅尼。
ふじわらのしょうし【藤原彰子】
⇒上東門院 (じょうとうもんいん)
ふじわらのすけまさ【藤原佐理】
[944〜998]平安中期の公卿・書家。名は「さり」とも。実頼の孫。三蹟の一人で、その筆跡を佐跡という。遺墨「詩懐紙」「恩命帖」「離洛帖」など。
ふじわらのすみとも【藤原純友】
[?〜941]平安中期の貴族。伊予掾 (じょう) となって下向。瀬戸内海の海賊と結んで反乱を起こしたが、敗れて殺された。→承平天慶 (じょうへいてんぎょう) の乱
ふじわらのたかいえ【藤原隆家】
[979〜1044]平安中期の公卿。道隆の四男。叔父道長との政権争いに敗れて失脚、のちに許され、大宰権帥 (だざいのごんのそち) に赴任。寛仁3年(1019)外敵の刀伊 (とい) を撃退して武勇の名をあげた。