・・・「和尚に聞かして下っせえ、どないにか喜びますべい、もっとも前藩主が、石州からお守りしてござったとは聞いとりますがの。」 と及腰に覗いていた。 お蝋燭を、というと、爺が庫裡へ調達に急いだ――ここで濫に火あつかいをさせない注意はもっ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・明治初年の日本は実にこの初々しい解脱の時代で、着ぶくれていた着物を一枚剥ねぬぎ、二枚剥ねぬぎ、しだいに裸になって行く明治初年の日本の意気は実に凄まじいもので、五ヶ条の誓文が天から下る、藩主が封土を投げ出す、武士が両刀を投出す、えたが平民にな・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・はむかし柳河藩主立花氏の下屋敷にあって、文化のころから流行りはじめた。屋敷の取払われた後、社殿とその周囲の森とが浅草光月町に残っていたが、わたくしが初めて尋ねて見た頃には、その社殿さえわずかに形ばかりの小祠になっていた。「大音寺前の温泉」と・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・記者は封建時代の人にして、何事に就ても都て其時代の有様を見て立論することなれば、君臣主従は即ち藩主と士族との関係にして、其士族たる男子には藩の公務あれども、妻女は唯家の内に居るが故に婦人に主君なしと放言したることならんか。若しも然るときは百・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・この革命は諸藩士族の手に成りしものにして、その士族は数百年来周公孔子の徳教に育せられ、満腔ただ忠孝の二字あるのみにして、一身もってその藩主に奉じ、君のために死するのほか、心事なかりしものが、一旦開進の気運に乗じて事を挙げ、ついに旧政府を倒し・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・旧藩主上杉伯の伴侶としてイギリスに旅立った。留守宅の収入は文部省官吏とし月給半額。妻と三子あり。高等学校の学生であった頃から父の洋行したい心持はつよく、ロンドンやパリの地図はヴェデカの古本を買って暗記する位であった由。この知識が偶然の功を奏・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・それはそれまで人民の主人であった公方と藩主とをはっきり臣下とよぶ天皇であり、その制度であると示された。一天万乗の君の観念はつくられ、天皇の特権を擁護するために全力をつくした旧憲法が人民階層のどんな詮索もうけずに発布された。当時の笑い草に、憲・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・ 仲平はまだ江戸にいるうちに、二十八で藩主の侍読にせられた。そして翌年藩主が帰国せられるとき、供をして帰った。 今年の正月から清武村字中野に藩の学問所が立つことになって、工事の最中である。それが落成すると、六十一になる父滄洲翁と、去・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・貴族的な風采の旧藩主の家令と、大男の畑少将とが目に附いた。その傍に藩主の立てた塾の舎監をしている、三枝と云う若い文学士がいた。私は三枝と顔を見合せたので会釈をした。 すると三枝が立って私の傍に来て、欄干に倚って墨田川を見卸しつつ、私に話・・・ 森鴎外 「余興」
出典:青空文庫