・・・……人間の平等を論じる人たちがその平等を猿や蝙蝠以下におしひろめない理由がはっきりわからなかった。……普通選挙を主張している友人に、なぜ家畜にも同じ権利を認めないかと聞いて怒りを買った事もあった。 今鋏のさきから飛び出す昆虫の群れをなが・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・どこからともなくたくさんの蝙蝠が蚊を食いに出て、空を低く飛びかわすのを、竹ざおを振るうてはたたき落とすのである。風のないけむったような宵闇に、蝙蝠を呼ぶ声が対岸の城の石垣に反響して暗い川上に消えて行く。「蝙蝠来い。水飲ましょ・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・局部内容発現の芸術でもっとも旨かったのは蝙蝠安ですな。あれは旨い。本当にできてる。ゆすりをした経験のある男が正業について役者になったんでなければ、ああは行くまいと思いました。顔もごろつきそうな顔でしょう。あれが髭を生やして狩衣を着て楠正成の・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・ 烏のついでに蝙蝠の話が出た。安倍君が蝙蝠は懐疑な鳥だと云うから、なぜと反問したら、でも薄暗がりにはたはた飛んでいるからと謎のような答をした。余は蝙蝠の翼が好だと云った。先生はあれは悪魔の翼だと云った。なるほど画にある悪魔はいつでも蝙蝠・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・ 林が尽きて、青い原を半丁と行かぬ所に、大入道の圭さんが空を仰いで立っている。蝙蝠傘は畳んだまま、帽子さえ、被らずに毬栗頭をぬっくと草から上へ突き出して地形を見廻している様子だ。「おうい。少し待ってくれ」「おうい。荒れて来たぞ。・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・我輩は手提革鞄の中へ雑物を押し込んですこぶる重い奴をさげてしかも左の手には蝙蝠とステッキを二本携えている。レデーは網袋の中へ渋紙包を四つ入れて右の手にさげている。この渋紙包の一つには我輩の寝巻とヘコ帯が這入っているんだ。左の手にはこれも我輩・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・裏通りとの関係の、裏路の役目を勤めているのであったが、今一つの道は、真右へ五間ばかり走って、それから四十五度の角度で、どこの表通りにも関りのない、金庫のような感じのする建物へ、こっそりと壁にくっついた蝙蝠のように、斜に密着していた。これが昼・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・葡萄いろの重い雲の下を、影法師の蝙蝠がひらひらと飛んで過ぎました。 子供らが長い棒に紐をつけて、それを追いました。 子供らは棒を棄て手をつなぎ合って大きな環になり須利耶さま親子を囲みました。 須利耶さまは笑っておいででござい・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・ うす青い様な空気の中に素早い動作で游いで居るトンボと蝙蝠の幾匹かは、一層高いところを、東へ東へと行く白鳥の灰色の影の下に如何にも微妙な運動をしめして居る。 つめたい風が渡って居そうに暗い木陰に、忘られた西洋葵の焔の様な花と、高々と・・・ 宮本百合子 「ひととき」
・・・この蜜についても、若し私がハイメッタスやハイブラをちっとも知らなかったら、自分にとって何だろう、と云って居る。蝙蝠が夕暮とぶのを見る面白さも、闇夜の道に梟の鳴くのを聞く満足も、皆彼等が詩の世界に現れるものだからだ、と。 私は自らギッシン・・・ 宮本百合子 「無題(四)」
出典:青空文庫