・・・いくら当人が承知だって、そんな所へ嫁にやるのは行末よくあるまい、まだ子供だからどこへでも行けと云われる所へ行く気になるんだろう。いったん行けばむやみに出られるものじゃない。世の中には満足しながら不幸に陥って行く者がたくさんある。などと考えて・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・平凡なる私の如きものも六十年の生涯を回顧して、転た水の流と人の行末という如き感慨に堪えない。私は北国の一寒村に生れた。子供の時は村の小学校に通うて、父母の膝下で砂原の松林の中を遊び暮した。十三、四歳の時、小姉に連れられて金沢に出て、師範学校・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・だがね、人の行末というものは、実に予知らないものだねえ」と、小万がじッと吉里を見つめた眼には、少しは冷笑を含んでいるようであッた。「まアそんなもんさねえ」と、吉里は軽く受け、「小万さん、私しゃお前さんに頼みたいことがあるんだよ」「頼・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・如斯心得なば夫婦の中自ら和ぎ、行末永つれ添て家の内穏かなるべし。 本文は女大学の末章にして、婦人を責むること甚だしく、殆んど罵詈讒謗の毒筆と言うも不可なきが如し。凡そ婦人の心さまの悪しき病は不和不順なる事と怒り恨む事と謗る事と妬・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・かかる勢にては、この書生輩の行末を察するに、専門には不得手にしていわゆる事務なるものに長じ、私に適せずして官に適し、官に容れざれば野に煩悶し、結局は官私不和の媒となる者、その大半におるべし。政府のためを謀れば、はなはだ不便利なり、当人のため・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・思いたえてふり向く途端、手にさわる一蓋の菅笠、おおこれよこれよとその笠手にささげてほこらに納め行脚の行末をまもり給えとしばし祈りて山を下るに兄弟急難とのみつぶやかれて 鶺鴒やこの笠たゝくことなかれ ここより足をかえしてけさ馬車に・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・二人の娘の女としての行末もやはり自分のように他人の意志によってあちらへ動かされ、こちらへ動かされするはかないものであって見れば、後に生き永らえさせることも哀れと思うからというはっきりした遺書をのこして、娘たちをわが手にかけて自刃したのであっ・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・ 恭二は、行末の知れて居る様な傾いた実家を思うと、金の無心も出来ず、まして、他の人達のする様にそっと母親の小遣いを曲げてもらうなどと云う事も、母の愛の薄いために此家へ来た位だから到底出来る事ではなかった。 中に入って板挾みの目に・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・その間に松坂から便があって、紀州の定右衛門が伜の行末を心配して、気病で亡くなったと云う事を聞いた。それから西宮、兵庫を経て、播磨国に入り、明石から本国姫路に出て、魚町の旅宿に三日いた。九郎右衛門は伜の家があっても、本意を遂げるまでは立ち寄ら・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・わたしの霊はここを離れて、天の喜びに赴いても、坊の行末によっては満足が出来ないかも知れません、よっくここを弁えるのだよ……」。仰って、いまは、透き通るようなお手をお組みなされ、暫く無言でいらっしゃる、お側へツッ伏して、平常教えて下すった祈願・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫