・・・建築ならば衣食住の一つで世の中になくて叶わぬのみか、同時に立派な美術である。趣味があると共に必要なものである。で、私はいよいよそれにしようと決めた。 ところが丁度その時分の同級生に、米山保三郎という友人が居た。それこそ真性変物で、常に宇・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・「商売なら、衣食のためと云う言い訳も立つ」「うん」「社会の悪徳を公然道楽にしている奴らは、どうしても叩きつけなければならん」「うん」「君もやれ」「うん、やる」 圭さんは、のっそりと踵をめぐらした。碌さんは黙然とし・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・上下挙って奔走に衣食するようになれば経世利民仁義慈悲の念は次第に自家活計の工夫と両立しがたくなる。よしその局に当る人があっても単に職業として義務心から公共のために画策遂行するに過ぎなくなる。しかのみならず日露戦争も無事に済んで日本も当分はま・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・近年の男子中には往々此道を知らず、幼年の時より他人の家に養われて衣食は勿論、学校教育の事に至るまでも、一切万事養家の世話に預り、年漸く長じて家の娘と結婚、養父母は先ず是れにて安心と思いの外、この養子が羽翼既に成りて社会に頭角を顕すと同時に、・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ また、一方の学者においても、世間の風潮、政談の一方に向うて、いやしくも政を語る者は他の尊敬を蒙り、またしたがって衣食の道にも近くして、身を起すに容易なるその最中に、自家の学問社会をかえりみれば、生計得べきの路なきのみならず、蛍雪幾年の・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ゆえに今、我が邦にて洋学校を開くは、至急のまた急なるものにて、なお衣食の欠くべからざるが如し。公私の財を費すも愛むにいとまあらず。一、学問は、高上にして風韻あらんより、手近くして博きを貴しとす。かつまた天下の人、ことごとく文才を抱くべき・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・だから、幸福とはどういうものかという問いに答える人々の言葉は実に区々で、ある人は幸福とは各人の主観でだけ感じられる一つの心境であるというし、他のある人は、最低限の衣食が足っていれば幸福であるとし、第三のひとは、健康こそ幸福であるというであろ・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
・・・之まで文化といえば、衣食足った後にひまな時間に従事する仕事のように思われていた。本を読むといえば、それを生意気と思われたのは、女に対してばかりの偏見ではなかった。また文化性をもった人というのは工場から、務め先からかえってくればシャレた背広に・・・ 宮本百合子 「明瞭で誠実な情熱」
・・・ 荷風の方は、家父もみっともないことをせずひっこんでおれといわれ、衣食の苦労もないところから、その内面の苦痛に沈酔した結果、ヨーロッパの真の美を、その伝統のない日本、風土からして異る日本に求めたとしてもそれは無理である、ヨーロッパ文学の・・・ 宮本百合子 「歴史の落穂」
・・・ それには衣食に事を闕いても書物を買うと云う君の学問好を認めた為めもあるが、決してそればかりではない。ドイツ語に於ける君の造詣の深いことは、初対面の日にもう知れていた。そうして見れば、君が学問好だと云うことは、問わずして明かなわけである・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫