・・・ そこへ何物か表から飛んで来て、裏窓の壁に当ってはね返り、ごろごろとはしご段を転げ落ちた。迷い鳥にしてはあまりに無謀過ぎ、あまりに重みがあり過ぎたようだ。 ぎょッとしたが、僕はすぐおもて窓をあけ、「………」誰れだ? と、いつもの・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 鴎外の花園町の家の傍に私の知人が住んでいて、自分の書斎と相面する鴎外の書斎の裏窓に射す燈火の消えるまで競争して勉強するツモリで毎晩夜を更かした。が、どうしてもそれまで起きていられないので燈火の消える時刻を突留める事が出来なかった。或る・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・その背後に三畳くらいの小さな部屋があってそこには蚊帳が吊るして寝床が敷いたままになっていた。裏窓からその蚊帳を通して来る萌黄色の光に包まれたこの小さな部屋の光景が、何故か今でも目について忘れられない。 どんな用向きでどんな話をしたか、そ・・・ 寺田寅彦 「中村彝氏の追憶」
・・・ わたくしの家は崖の上に立っている。裏窓から西北の方に山王と氷川の森が見えるので、冬の中西北の富士おろしが吹きつづくと、崖の竹藪や庭の樹が物すごく騒ぎ立てる。窓の戸のみならず家屋を揺り動すこともある。季節と共に風の向も変って、春から夏に・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・ 吉原田圃の全景を眺めるには廓内京町一、二丁目の西側、お歯黒溝に接した娼楼の裏窓が最もその処を得ていた。この眺望は幸にして『今戸心中』の篇中に委しく描き出されている。即ち次の如くである。忍ヶ岡と太郎稲荷の森の梢には朝陽が際立ッて・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 宮川の二階へ上って、裏窓の障子を開けると雪のつもった鄰の植木屋の庭が見える一室に坐るが否や、わたしは縷々として制作の苦心を語りはじめた。唖々子は時々長い頤をしゃくりながら、空腹に五、六杯引掛けたので、忽ち微醺を催した様子で、「女の文学・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・川添いの小家の裏窓から、いやらしい姿をした女が、文身した裸体の男と酒を呑んでいるのが見える。水門の忍返しから老木の松が水の上に枝を延した庭構え、燈影しずかな料理屋の二階から芸者の歌う唄が聞える。月が出る。倉庫の屋根のかげになって、片側は真暗・・・ 永井荷風 「深川の唄」
出典:青空文庫