・・・何だかその匂や褐色の花粉がべたべた皮膚にくっつきそうな気がした。 多加志はたった一晩のうちに、すっかり眼が窪んでいた。今朝妻が抱き起そうとすると、頭を仰向けに垂らしたまま、白い物を吐いたとか云うことだった。欠伸ばかりしているのもいけない・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・が、そのうちにいつの間にか、やはり愛想の好い顔をしたまま、身動きもしない玉蘭の前へ褐色の一片を突きつけていた。 僕はちょっとそのビスケットのだけ嗅いで見たい誘惑を感じた。「おい、僕にもそれを見せてくれ。」「うん、こっちにまだ半分・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・…… 姉は三人の子供たちと一しょに露地の奥のバラックに避難していた。褐色の紙を貼ったバラックの中は外よりも寒いくらいだった。僕等は火鉢に手をかざしながら、いろいろのことを話し合った。体の逞しい姉の夫は人一倍痩せ細った僕を本能的に軽蔑して・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・それはまた何ごとにも容易に弱みを見せまいとするふだんの彼の態度にも合していることは確かだった。褐色の口髭の短い彼は一杯の麦酒に酔った時さえ、テエブルの上に頬杖をつき、時々A中尉にこう言ったりしていた。「どうだ、おれたちも鼠狩をしては?」・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・こう云ったのはお嬢さんである。大抵お嬢さんなんというものは、釣のことなんぞは余り知らない。このお嬢さんもその数には漏れないのである。「退屈なら、わたししはしないわ。」こう云ったのは褐色を帯びた、ブロンドな髪を振り捌いて、鹿の足のような足・・・ 著:アルテンベルクペーター 訳:森鴎外 「釣」
・・・ 二 青空が広く、葉は落ち尽くし、鈴懸が木に褐色の実を乾かした。冬。凩が吹いて、人が殺された。泥棒の噂や火事が起こった。短い日に戸をたてる信子は舞いこむ木の葉にも慴えるのだった。 ある朝トタン屋根に足跡が印されて・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・しかし今すでに受精を終わった杉林の上には褐色がかった落ちつきができていた。瓦斯体のような若芽に煙っていた欅や楢の緑にももう初夏らしい落ちつきがあった。闌けた若葉がおのおの影を持ち瓦斯体のような夢はもうなかった。ただ溪間にむくむくと茂っている・・・ 梶井基次郎 「蒼穹」
・・・ しばらくして彼は、葉が褐色に枯れ落ちている屋根に、つるもどきの赤い実がつややかに露われているのを見ながら、家の門を出た。 風もない青空に、黄に化りきった公孫樹は、静かに影を畳んで休ろうていた。白い化粧煉瓦を張った長い塀が、いかにも・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・他の二人も老人らしく似つこらしい打扮だが、一人の濃い褐色の土耳古帽子に黒い絹の総糸が長く垂れているのはちょっと人目を側立たせたし、また他の一人の鍔無しの平たい毛織帽子に、鼠甲斐絹のパッチで尻端折、薄いノメリの駒下駄穿きという姿も、妙な洒落か・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・男等の一人で、足の長い、髯の褐色なのが、重くろしい靴を上げて材木をこづいた。鴉のやはり動かずに止まっていた材木である。鴉は羽ばたきもせず、頭も上げず、凝然たる姿勢のままで、飢渇で力の抜けた体を水に落した。そして水の上でくるくると輪をかいて流・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
出典:青空文庫