・・・あの人は、首をかしげて、それから私を縁側の、かっと西日の当る箇所に立たせ、裸身の私をくるくる廻して、なおも念入りに調べていました。あの人は、私のからだのことに就いては、いつでも、細かすぎるほど気をつけてくれます。ずいぶん無口で、けれども、し・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・右舷へ出ると西日が照りつけて、蝶々に結った料理屋者らしいのが一人欄へもたれて沖をぼんやり見ている。会食室の戸が開いているからちらと見たら、三十くらいの意気な女と酒をのんでいる男があったが、顔はよく見えなかった。また左舷へ帰って室へはいって革・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・軽く興奮してほてる顔をさらに強い西日が照りつけて、ちょうど酒にでも微酔したような心持ちで、そしてからだが珍しく軽快で腹がいいぐあいにへっていた。 停車場まで来ると汽車はいま出たばかりで、次の田端止まりまでは一時間も待たなければならなかっ・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ 看護婦が手押車に手術器械薬品をのせたのを押して行く。西日が窓越しに看護婦の白衣と車の上のニッケルに直射する。見る目が痛い。手術される人はそれがなお痛いことであろう。 病院で手術した患者の血や、解剖学教室で屍体解剖をした学生の手洗水・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・したがって西日がカンカン照って暑くはあるが、せっかくの建物に対しても、あなた方は来て見る必要があり、また我々は講演をする義務があるとでも言おうか、まアあるものとしてこの壇上に立った訳である。 そこで「道楽と職業」という題。道楽と云います・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・ 晴れた西日が野にさして、雪は紫色だ。林は銅色。 小さい駅。白樺。黄色く塗った木造ステーション。チェホフ的だ。赤い帽子をかぶった駅長が一人ぼっち出て来て、郵便車から雪の上へ投げた小包を拾い上げた。その小包には切手が沢山はってあった。・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・ 暫く話してから、西日の照る往来に出、間もなく、自分は、アタールという名を忘却した。 それから、クマラスワミーとは友情が次第に濃やかになり、十月頃彼が帰るまで、我々は、ヨネ・野口をおいては親しい仲間として暮した。種々な恋愛問題なども・・・ 宮本百合子 「思い出すこと」
・・・真白な天井や壁ばかり見ていたので、障子のこまかい棧、長押、襖の枠、茶だんす、新しい畳のへりなど、茶色や黒い線が、かすかに西日を受ける部屋の中で物珍しく輻輳した感じでいちどきに目に映った。火鉢のわきにいつもの場処にさて、と坐る。どうもいろいろ・・・ 宮本百合子 「寒の梅」
・・・温泉の水口はとめられていて、乾あがった湯槽には西日がさしこみ、楢の落葉などが散っていた。白樺の細い丸木を組んだ小橋が、藪柑子の赤い溝流れの上にかかったりしていたところからそこへ入って行ったので、乾きあがって人気ない湯殿の内部は大層寂しく私た・・・ 宮本百合子 「上林からの手紙」
・・・ 梶は安心した気持でそんな冗談を云ったりした。西日の射しこみ始めた窓の外で、一枚の木製の簾が垂れていた。栖方はそれを見ながら、「先日お宅から帰ってから、どうしても眠れないのですよ。あの簾が眼について。」と云って、なお彼は窓の外を見つ・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫