・・・ 白は二人を見上げると、息もつかずにこう云いました。しかし今日はどうしたのか、お嬢さんも坊ちゃんもただ呆気にとられたように、頭さえ撫でてはくれません。白は不思議に思いながら、もう一度二人に話しかけました。「お嬢さん! あなたは犬殺し・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・ そうしてその紅葉と黄葉との間をもれてくる光がなんとも言えない暖かさをもらして、見上げると山は私の頭の上にもそびえて、青空の画室のスカイライトのように狭く限られているのが、ちょうど岩の間から深い淵をのぞいたような気を起させる。 対岸・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・ お君さんは田中君の顔を見上げると、息のはずんでいるような声を出した。「なあに。」 田中君は大様な返事をしながら、何とも判然しない微笑を含んだ眼で、じっとお君さんの顔を眺めた。それから急に身ぶるいを一つして、「歩こう、少し。・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・寒い風だ。見上げると八合目まで雪になったマッカリヌプリは少し頭を前にこごめて風に歯向いながら黙ったまま突立っていた。昆布岳の斜面に小さく集った雲の塊を眼がけて日は沈みかかっていた。草原の上には一本の樹木も生えていなかった。心細いほど真直な一・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・その友達は矢張西洋人で、しかも僕より二つ位齢が上でしたから、身長は見上げるように大きい子でした。ジムというその子の持っている絵具は舶来の上等のもので、軽い木の箱の中に、十二種の絵具が小さな墨のように四角な形にかためられて、二列にならんでいま・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・夏になると、いつも障子が開けてありましたから、外を歩く人は、この室の一部を見上げることもできました。 ちょうど隣の家の二階には、中学校へ、教えに出る博物の教師が借りていました。博物の教師は、よく円形な眼鏡をかけて、顔を出してこちらをのぞ・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・といって、無邪気な子供たちは、小さな両手を開いて、太い幹に抱きついて、見上げるものもあれば、「いい木だなあ。」と、いまさらのように、感心して、ながめるものもありました。 年老った木は、かわいらしい子供たちに、こんなことをされるのが、・・・ 小川未明 「学校の桜の木」
・・・ 見上げると、頭の上をおもしろそうに、白雲がゆるゆるとして流れてゆきました。 また、あるときは美しい小鳥たちが、おもしろそうに話をしながら飛んでゆきました。しかし、雲も小鳥たちも、下に立っている木を見つけませんでした。「小さくて・・・ 小川未明 「曠野」
・・・ 何番が売れているのかと、人気を調べるために窓口へ寄っていた人々は、余裕綽々とした寺田の買い方にふと小憎らしくなった顔を見上げるのだったが、そんな時寺田の眼は苛々と燃えて急に挑み掛るようだった。何かしら思い詰めているのか放心して仮面のよ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ふと見上げると、ひっそりした校舎の三階の窓にぽつりと一つ灯がついている。さっき見た時にはその灯はついていなかった筈だがとそっと水を浴びた想いに青く濡れた途端、その灯のついた深夜の教室に誰かが蠢いているように思った。いきなり窓がひらいてその灯・・・ 織田作之助 「道」
出典:青空文庫