・・・ わたしは黒君を見殺しにしました。わたしの体のまっ黒になったのも、大かたそのせいかと思っています。しかしわたしはお嬢さんや坊ちゃんにお別れ申してから、あらゆる危険と戦って来ました。それは一つには何かの拍子に煤よりも黒い体を見ると、臆病を恥じ・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・六十を越した人を、まさか見殺しにはしないだろう。 やっちまおうかと、日に幾度考えたかね。 民さんも知っていましょう、あの年は、城の濠で、大層投身者がありました。」 同一年の、あいやけは、姉さんのような頷き方。「ああ。」・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・「このまま仲間を、見殺しにすることができるものでない。どんなことをしても、救わなければならない。」と、それらの人々はいいました。 すると、おおぜいの中の、あるものは、「今度のことは、この国があってから、はじめてのことだ。人間業で・・・ 小川未明 「黒い人と赤いそり」
・・・これとて多数者でなかったら、恐らく見殺しにされて問題とはならなかったでしょう。これは、比較的外面の事実であるが、なほ、焦眉の応策を要するものに、思想問題がありました。一歩内面的なる、思想、人格、教化の如きに至っては、いかに強権の力でも、容易・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・いつも、あんなに、かわいがっていて、見殺しにしたからというのだよ。」と、お姉さんは、目に、涙がためていらっしゃいました。「ほんとうに、そうだな。すぐにわかったら、もらいにいってやればいいに、印刷屋でも、うちでも、まただれも、犬殺しにつれ・・・ 小川未明 「ペスをさがしに」
・・・妻子を見殺しにして平然、というような「度胸」を持ってはいないのだ。配給や登録の事だって、知らないのではない、知るひまが無いのだ。……父は、そう心の中で呟き、しかし、それを言い出す自信も無く、また、言い出して母から何か切りかえされたら、ぐうの・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・お前さまは、一体、ラプンツェルを、どうなさるつもりだね。見殺しにするか、それとも、わしのような醜い顔になっても、生かして置きたいか。お前さまは、さっき、どんな事があっても、生きてだけいておくれ、と念じていなさったが、どうかね、わしのような顔・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・何が故にその為に食物を得ないで死亡する、十億の人類を見殺しにするのであるか。人類も又動物ではないか。」「こいつは面白い。実に名論だ。文章も実に珍無類だ。実に面白い。」トルコの地学博士はその肥った顔を、まるで張り裂けるようにして笑いま・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・おなかが痛いって寝てるって云うと、幾何いるんだ、十円下さい、十円なんているまいって云うから、今時医者に一遍かかったって五円とられるんですよ、貴方病人を見殺しにするんですかって云うとね、流石のおやじ、事ムの人におい、出してやれってので貰って来・・・ 宮本百合子 「斯ういう気持」
・・・ 失敗した作品でも見殺しにしてはいけない、いい芽をもっていることもある。そのものとして成功していても、未来の文化のために寄与する価値をもたないものもある。 それらを、ごく具体的に、一般的に、実際生活と結びつけた見通しをもって話さなけ・・・ 宮本百合子 「こういう月評が欲しい」
出典:青空文庫