・・・犬が芸を覚えるのは我々の言葉がわかるからです。しかし我々は犬の言葉を聞きわけることが出来ませんから、闇の中を見通すことだの、かすかな匂を嗅「どこの犬とはどうしたのです? わたしですよ! 白ですよ!」 けれどもお嬢さんは不相変気味悪そ・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・僕はこの文章から同氏の本を読むようになり、いつかロシヤの文学者の名前を、――ことにトゥルゲネフの名前を覚えるようになった。それらの小品集はどこへ行ったか、今はもう本屋でも見かけたことはない。しかし僕は同氏の文章にいまだに愛惜を感じている。こ・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・人に摩られる時はまだ何だか苦痛を覚える。何か己の享けるはずでない事を享けるというような心持であった。クサカはまだ人に諂う事を知らぬ。余所の犬は後脚で立ったり、膝なぞに体を摩り付けたり、嬉しそうに吠えたりするが、クサカはそれが出来ない。 ・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・「ちと聞苦しゅう覚えるぞ。」「口へ出して言わぬばかり、人間も、赤沼の三郎もかわりはないでしゅ。翁様――処ででしゅ、この吸盤用意の水掻で、お尻を密と撫でようものと……」「ああ、約束は免れぬ。和郎たちは、一族一門、代々それがために皆・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・私は、ここにきたがためにいろいろの技術を覚えることができました。これから、また方々を渡って、もっといろいろのことを知ったり、見たいと思います。」と、当時の若者は、もういい働き盛りになっていて、こう答えました。「おたがいに、この世の中から・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・と、いう、お母さんのやさしい声をきく時、ほんとうにうれしく、心に満足を覚えるでありましょう。 また、学校にいて、半日、お母さんの顔を見ないことは子供にとっては、苦しいことであります。帰りを急ぐのも早くお母さんのお顔を見たいためでした。た・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
・・・注射もはじめはきらったが、体が二つに割れるような苦痛が注射で消えてとろとろと気持よく眠り込んでしまえる味を覚えると、痛みよりも先に「注射や、注射や」夜中でも構わず泣き叫んで、種吉を起した。種吉は眠い目をこすって医者の所へ走った。「モルヒネだ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・またそれに見入っている彼自身がいかに情熱を覚え性欲を覚えるか。窓のなかの二人はまるで彼の呼吸を呼吸しているようであり、彼はまた二人の呼吸を呼吸しているようである、そのときの恍惚とした心の陶酔を思い出していた。「それに比べて」と彼は考え続・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・肩が現われ、頸が顕われ、微かな眩暈のごときものを覚えると共に、「気配」のなかからついに頭が見えはじめ、そしてある瞬間が過ぎて、K君の魂は月光の流れに逆らいながら、徐々に月の方へ登ってゆきます。K君の身体はだんだん意識の支配を失い、無意識な歩・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・そしてその夜、うすいかすみのように僕の心を包んだ一片の哀情は、年とともに濃くなって、今はただその時の僕の心持ちを思い起こしてさえ堪えがたい、深い、静かな、やる瀬のない悲哀を覚えるのである。 その後徳二郎は僕の叔父の世話で立派な百姓になり・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
出典:青空文庫