・・・眼が覚めるや酒の酔も醒め、頭の上には里子が心配そうに僕の顔を見て坐て居ました。母は直ぐ鎌倉に引返したのでした。 其後僕と母とは会わないのです。僕は母に交って此方に来て、母は今、横浜の宅に居ますが、里子は両方を交る/″\介抱して、二人の不・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・たのでその代りとして勧められた塩鯖を買ったについても一ト方ならぬ鬼胎を抱いた源三は、びくびくもので家の敷居を跨いでこの経由を話すと、叔母の顔は見る見る恐ろしくなって、その塩鯖の※包む間も無く朝早く目が覚めると、平生の通り朝食の仕度にと掛った・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・オイ、三年の恋も醒めるかナッ、ハハハ。「冗談を云わずと真誠に、これから前をどうするんだか談して安心さしておくれなネエ。茶かされるナア腹が立つよ、ひとが心配しているのに。「心配は廃しゃアナ。心配てえものは智慧袋の縮み目の皺だとヨ、何に・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・時には、自分の身体にまで上って来るような物凄い恐怖に襲われて、眼が覚めることが有った。深夜に、高瀬は妻を呼起して、二人で台所をゴトゴト言わせて、捕鼠器を仕掛けた。 その年の夏から秋へかけて、塾に取っては種々な不慮の出来事があった。広・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ でも、早く眼が覚めるように成っただけ、年を取ったか、そう思いながら、雨の音のしなくなる頃には、彼は最早臥床を離れた。 やがて彼は自分の部屋から、雨揚りの後の静かな庭へ出て見た。そして、やわらかい香気の好い空気を広い肺の底までも呼吸・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・上へ出てくるにつれて、幻から現へ覚めるように、順々に小黒い色になる。しばらくいっしょに集ってじっとしている。やがて片端から二三匹ずつ繰りだして、列を作って、小早に日の当る方へと泳いで行く。ちらちらと腹を返すのがある。水の底には、泥を被った水・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・愛も無い、歓びも無い、ただしらじらしく、興覚めるばかりだ。私はこの短篇小説に於いて、女の実体を、あやまち無く活写しようと努めたが、もう止そう。まんまと私は、失敗した。女の実体は、小説にならぬ。書いては、いけないものなのだ。いや、書くに忍びぬ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・あまりにも見え透いて、私はいよいよ興覚めるばかりであった。 しかし、彼だって、なかなか、単純な男ではない。敏感に、ふっと何か察するらしい。「俺は、しかし何も、お前の兄貴の家来になりたがっている、というわけじゃないんだよ。そんなに、こ・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・彩色と云っても絵具は雌黄に藍墨に代赭くらいよりしかなかったが、いつか伯父が東京博覧会の土産に水彩絵具を買って来てくれた時は、嬉しくて幾晩も枕元へ置いて寝て、目が覚めるや否や大急ぎで蓋をあけて、しばしば絵具を検査した。夕焼けの雲の色、霜枯れの・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・先生は時々かかる暮れがた近く、隣の家から子供のさらう稽古の三味線が、かえって午飯過ぎの真昼よりも一層賑かに聞え出すのに、眠るともなく覚めるともなく、疲れきった淋しい心をゆすぶらせる。家の中はもう真暗になっているが、戸外にはまだ斜にうつろう冬・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫