・・・「それじゃ帳場さん何分宜しゅう頼むがに、塩梅よう親方の方にもいうてな。広岡さん、それじゃ行くべえかの。何とまあ孩児の痛ましくさかぶぞい。じゃまあおやすみ」 彼れは器用に小腰をかがめて古い手提鞄と帽子とを取上げた。裾をからげて砲兵の古・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・いよいよ狸の親方が来たのかなと思うと、僕は恐ろしさに脊骨がぎゅっと縮み上がりました。 ふと僕の眼の前に僕のおとうさんとおかあさんとが寝衣のままで、眼を泣きはらしながら、大騒ぎをして僕の名を呼びながら探しものをしていらっしゃいます。それを・・・ 有島武郎 「僕の帽子のお話」
・・・ 問慰めるとようよう此方を向いて、「親方。」「おお、」「起きましょうか。」「何、起きる。」「起きられますよ。」「占めたな! お前じっとしてる方が可いけれど、ちっとも構わねえけれど、起られるか、遣ってみろ一番、そう・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・――ほんに、もうお十夜だ――気むずかしい治兵衛の媼も、やかましい芸妓屋の親方たちも、ここ一日二日は講中で出入りがやがやしておるで、その隙に密と逢いに行ったでしょ。」「お安くないのだな。」「何、いとしゅうて泣いてるだか、しつこくて泣か・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・表面の事なんかどうでもえいや、つまらん事から無造作に料簡を動かして、出たり引っこんだりするのか淫奔の親方だよ。それから見るとおとよさんなんかは、こうと思い定めた人のために、どこまでも情を立てて、親に棄てられてもとまで覚悟してるんだから、実際・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・「うむ、海に棲んでる馬だって、あの大きな牙を親方のとこへ土産に持って来たあの人だろう」「あいつさ、あいつはあれ限りもう来ねえのか?」「来ねえようだよ」「偽つけ! 来ねえことがあるものか」「じゃ、為さん見たのか?」「俺・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・樹木の茂った丘の崖下の低地の池のまわりには、今日も常連らしい半纏着の男や、親方らしい年輩の男や、番頭らしい男やが五六人、釣竿を側にして板の台に坐って、浮木を眺めている。そしてたまに大きなのがかかると、いやこれはタマだとか、タマではあるまいと・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・この時やっと頭を上げて、「親方どうも済まない。」と弱い声で言ってまたも咳をしてホッとため息をついた。長おもてのやせこけた顔で、頭は五分刈りがそのまま伸びるだけ伸びて、ももくちゃになって少しのつやもなく、灰色がかっている。 文公のおか・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・御本人はどうかと申しますと、あまり苦労をしたらしくもないので、その女房も、親方が世話をして持たしてくれたとかいうのでございます。 けれども私は東京に出てから十年の間、いろいろな苦労をしたに似ず、やはり持って生まれた性質と見えまして、烈し・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・「それゃそうだけど能く頼めば親方だって五円位貸してくれそうなものだ。これを御覧」とお源は空虚の炭籠を見せて「炭だってこれだろう。今夜お米を買ったら幾干も残りや仕ない。……」 磯は黙って煙草をふかしていたが、煙管をポンと強く打いて、膳・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
出典:青空文庫