・・・ 大正十二年の震災にも焼けなかった観世音の御堂さえこの度はわけもなく灰になってしまったほどであるから、火勢の猛烈であったことは、三月九日の夜は同じでも、わたくしの家の焼けた山の手の麻布あたりとは比較にならなかったものらしい。その夜わたく・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・お熊は何か心願の筋があるとやらにて、二三の花魁の代参を兼ね、浅草の観世音へ朝参りに行ッてしまッた。善吉のてれ加減、わずかに溜息をつき得るのみである。「吉里さん、いかがです。一杯受けてもらいたいものですな。こうして飲んでいたッて――一人で・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・その、また、北東には浜成たちの観世音があるが、ここからは草で見えぬわ」「浮評に聞える御社はあのことでおじゃるか。見れば太う小さなものじゃ」「あの傍じゃ、おれが、誰やらん逞ましき、敵の大将の手に衝き入ッて騎馬を三人打ち取ッたのは。その・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫