・・・ 二つの悲劇 ストリントベリイの生涯の悲劇は「観覧随意」だった悲劇である。が、トルストイの生涯の悲劇は不幸にも「観覧随意」ではなかった。従って後者は前者よりも一層悲劇的に終ったのである。 ストリントベリイ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・たまに看守や観覧人に遇っても、じろじろ顔を見られるのはほんの数秒の間だけである。…… 落ち合う時間は二時である。腕時計の針もいつのまにかちょうど二時を示していた。きょうも十分と待たせるはずはない。――中村はこう考えながら、爬虫類の標本を・・・ 芥川竜之介 「早春」
・・・そしてそこで始めて、多数の公開観覧所が卑猥なものやあくどい際物で堕落し切っているのに対して、道徳的なものをもって対抗させる機会を得るだろう。教授用フィルムに簡単な幻燈でも併用すれば、従来はただ言葉の記載で長たらしくやっている地理学などの教授・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・そうして丹波の山奥から出て来た観覧者の目に映るような美しい影像はもう再び認める時はなくなってしまう。これは実にその人にとっては取り返しのつかない損失でなければならない。 このような人は単に自分の担任の建築や美術品のみならず、他の同種のも・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・従ってこの年取った子供のこの一夕の観覧の第一印象の記録は文楽通の読者にとってやはりそれだけの興味があるかもしれない。 入場したときは三勝半七酒屋の段が進行していた。 人形そのものの形態は、すでにたびたび実物を展覧会などで見たりあるい・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・絵巻物では、一つの場面から次の場面への推移は観覧者の頭脳の中で各自のファンタジーにしたがって進転して行く。巻物に描かれた雲や波や風景や花鳥は、その背景となり、モンタージュとなり、雰囲気となり、そうしてきたるべき次の場面への予感を醸成する。そ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ これとは話が変わるが、若い人にはとにかくとしても、もはや人生の下り坂を歩いているような老人にとっては、映画の観覧による情緒の活動が適当な刺激となり、それが生理的に反応して内分泌ホルモンの分泌のバランスに若干の影響を及ぼし、場合によって・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・点火したのをそこへ載せておくと少時すると自然に消えて主人が観覧を了えて再び出現するのを待つ、いわばシガーの供待部屋である。これが日本の美術館だったらどうであろう。這入るときに置いた吸いさしが、出るときにその持主の手に返る確率が少なくも一九一・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・ 二 製陶実演 三越へ行ったら某県物産展覧会というのが開催中であって、そこでなんとか焼きの陶器を作る過程の実演を観覧に供していた。回転台の上へ一塊の陶土を載せる。そろそろ回しながらまずこの団塊の重心がちょうど回転軸の・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・ 歌舞伎座の一夕の観覧記がつい不平のノートのようになってしまったようであるが、それならちっともおもしろくなかったのかと聞かれればやはりおもしろかったと答えるのである。実をいうと午後四時から十時までぶっ通しに一粒えりの立派な芸術ばかりを見・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫