・・・ それからだんだん、ふれ声も平気で言えるようになり、天秤棒の重みで一度は赤く皮のむけた肩も、いつかタコみたいになって痛くなくなり、いつもこんにゃくを買ってくれる家の奥さんや女中さんとも顔馴染になったりしていったが、たった一つだけが、いつ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・今の世の中にはあのようなものが芸術家を以て目せられるのも自然の趨勢であると思ったので、面晤する場合には世辞の一ツも言える位にはなっている。活動写真に関係する男女の芸人に対しても今日の僕はさして嫌悪の情を催さず儼然として局外中立の態度を保つこ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・余曾て言えることあり。男子の心は元禄武士の如くして其芸能は小吏の如くなる可しと。今この語法に従い女子に向て所望すれば、起居挙動の高尚優美にして多芸なるは御殿女中の如く、談笑遊戯の気軽にして無邪気なるは小児の如く、常に物理の思想を離れず常に経・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・されどここに言える取合せとは二種の取合せをいうものにして、洒堂のごとく三種の取合せをいうにあらざるは、芭蕉の句、許六の句を見て明らかなり。芭蕉また凡兆に対して「俳諧もさすがに和歌の一体なり、一句にしおりあるように作すべし」といえるもこの間の・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・その範囲で、作家は作品を生きていると言える。けれども、人間性を自分の枠のなかからたたき出して、辛い旅をさせ、客観的に追いつめられるだけ追いつめて見て到達した地点へ、自分の生きかたの足場を刻みつけて進んでゆくという、アルプス登攀のような文学と・・・ 宮本百合子 「作品と生活のこと」
・・・そのままの状態を、一つも発展しないものとして裏返して見れば、悪条件の無くなった社会で、女がそういう奴隷的生存を続ける為の結婚を望まなくなるだろうということは言えるだろう。けれども、私たちはそういう機械的な裏返しで現在の逆を見る誤りに落入って・・・ 宮本百合子 「人間の結婚」
・・・『そんな嘘が、そんな嘘が――正直ものを誣るような、そんな嘘が言えるものなら!』 かれは十分弁解した、かれは信ぜられなかった。 かれはマランダンと立ち合わされた。マランダンはどこまでも自分の証拠をあげて主張した。かれらは一時間ばか・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・ようよう物が言えるようになったのでございます。『すまない。どうぞ堪忍してくれ。どうせなおりそうにもない病気だから、早く死んで少しでも兄きにらくがさせたいと思ったのだ。笛を切ったら、すぐ死ねるだろうと思ったが息がそこから漏れるだけで死ねない。・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・もちろんそれは文展についても言えることであり、すでに十何年の歴史を負っている事実でもあるから、今さらことごとしく問題にするには及ばないかも知れぬ。しかし僕の遠望観は、ぐるぐると回っている内に、結局この問題に帰着するのである。 何人も気が・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・その相違はわずかであるとも言えるが、しかし花の数が多いのであるから、ひどく花やかになったような気持ちがする。 何分かかかってその群落を通りぬけると、今度は紅蓮の群落のなかへ突き進んで行った。紅色が花びらの六、七分通りにかかっていて、底の・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫