・・・上さんが、奥の間で、子供を寝かしつけていながら言い出した。「へえ……これア飛んだ長話をしまして……。」やがて爺さんは立てていた膝を崩して柱時計を見あげた。「私も、これからまた末の女の奴を仕上げなくちゃなんねえんだがね、金のなくなる迄・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・と坊さんが言い出した。そこで「宗教がいるかいらないかそういう事は知らぬけれど、僕は小供のうちから宗教嫌いで、二十歳前後の頃は、宗教という言葉を聞いても癪に障るほどであった。それは固より宗教を理窟詰にしようという考えであったから、唯物論に傾い・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ すると、さあ、シグナレスはあらんかぎりの勇気を出して言い出しました。「でもあなたは金でできてるでしょう。新式でしょう。赤青眼鏡を二組みも持っていらっしゃるわ、夜も電燈でしょう。あたしは夜だってランプですわ、眼鏡もただ一つきり、それ・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・と申しますと、やまねこはまだなにか言いたそうに、しばらくひげをひねって、眼をぱちぱちさせていましたが、とうとう決心したらしく言い出しました。「それから、はがきの文句ですが、これからは、用事これありに付き、明日出頭すべしと書いてどうでしょ・・・ 宮沢賢治 「どんぐりと山猫」
・・・大学士は寝たままそれを眺め、又ひとりごとを言い出した。「ははあ、あいつらは岩頸だな。岩頸だ、岩頸だ。相違ない。」そこで大学士はいい気になって、仰向けのまま手を振って、岩頸の講義をはじめ出した。「諸君、手っ取り早く・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・誰が言い出したことか知らぬが、「阿部はお許しのないを幸いに生きているとみえる、お許しはのうても追腹は切られぬはずがない、阿部の腹の皮は人とは違うとみえる、瓢箪に油でも塗って切ればよいに」というのである。弥一右衛門は聞いて思いのほかのことに思・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・相宿のものがそれぞれ稼に出た跡で、宇平は九郎右衛門の前に膝を進めて、何か言い出しそうにして又黙ってしまった。「どうしたのだい」と叔父が云った。「実は少し考えた事があるのです」「なんでも好いから、そう云え」「おじさん。あなたは・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ 最初にそう父親が言い出した。母親はただ黙ってきいていた。「道路に向いた小屋の壁をとって、そこで店を出さそう、それに村には下駄屋が一軒もないし。」 ここまで父親が言うと、今まで心配そうに黙っていた母親は、「それが好い。あの子・・・ 横光利一 「笑われた子」
・・・ ある時私は友人と話している内に、だんだん他の人の悪口を言い出した事がありました。対象になったのは道徳的の無知無反省と教養の欠乏とのために、自分のしている恐ろしい悪事に気づかない人でした。彼は自分の手である人間を腐敗させておきながら、自・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・そのとき、四か国の境の山中に、世を離れて住んでいる老人夫婦があることを言い出したものがあった。それが取り上げられて、ついに探索隊が派遣された。 探索隊は深い山の中をさがし回って、ようやく老夫婦を見いだしたが、その老夫婦は、この十七年来人・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫