・・・ とばかり簡単に言捨てたるまま、身さえ眼をさえ動かさで、一心ただ思うことあるその一方を見詰めつつ、衣を換うるも、帯を緊むるも、衣紋を直すも、褄を揃うるも、皆他の手に打任せつ。 尋常ならぬ新婦の気色を危みたる介添の、何かは知らずおどお・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・と為さんは例のニヤリとして、「私もどうか金さんのような同胞に、一度でいいから扱われて見てえもんですね」「じゃ、金さんの弟分にでもなるさ」と言い捨てて、お光はつと火鉢を離れて二階へ行こうとすると、この時ちょうど店先へガラガラと俥が留った。・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 安子はそう言い捨てて女湯へ戻って来た。早熟の安子はもうその頃には胸のふくらみなど何か物を言い掛けるぐらいになっていた。 やがて尋常科を卒え、高等科にはいると、そのふくらみは一層目立ち、安子の器量のよさは学校でよりも近所の若い男たち・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・――そんな老人が朗らかにそう言い捨てたまま峻の脇を歩いて行った。言っておいてこちらを振り向くでもなく、眼はやはり遠い眺望へ向けたままで、さもやれやれといったふうに石垣のはなのベンチへ腰をかけた。―― 町を外れてまだ二里ほどの間は平坦な緑・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・朝は母もろともしめやかに物語して笑い声さえ雑えざるは、いぶかしさに堪えず、身を起こして衣着かえんとする時階段を上り来る音してやがて頭さしいだせしはわが妹なり、宮本の叔母様来たりたまいぬ早く下りたまえと言い捨ててそのまま階下にゆけり。 朝・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・私はなんと言ってよいか、文句が出ません、あっけに取られて武の顔を見ると、武も少し顔を赤らめて言いにくそうにしていましたが、『まアここへ坐って下さりませ、私はちょっと出て来ますから』と言い捨てて行こうとしますから、『なんだ、なんだ、私・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ 言い捨てて去って了った。校長の細川は取残されてみると面白くはないが、それでも糸を垂れていた、実は頻りと考え込んでいたのである。暫時するとこれも力なげに糸を巻き籠を水から上げて先生の道具と一緒に肩にかけ、程遠からぬ富岡の宅まで行った。庭・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・老先生は静かに起ちあがりさま『お前そんな生意気なことを言うものでない、益になるところとならぬところが少年の頭でわかると思うか、今夜宅へおいで、いろいろ話して聞かすから』と言い捨てて孫娘と共に山を下りてしまった。 僕が高慢な老人をへこまし・・・ 国木田独歩 「初恋」
・・・と客が居ずまいを直してあいづちを打った。「田浦さん、はげが自慢にゃなりませんよ」と言い捨てて出て行った。 まもなく車が来て田浦は帰り、続いて大森も美麗な宿車で威勢よく出て行った。 午後四時半ごろになって大森は外から帰って来たが室・・・ 国木田独歩 「疲労」
・・・そうかね。芸術家ばかり居るんだね。でもこれからは、あんな嘘はつくなよ。僕は落ちつかないんだ。」そう言い捨てて又二階へ上り、其の「ロマネスク」という小説を書き続けて居ると、又も、佐吉さんの一際高い声が聞えて、「酒が強いと言ったら、何と言っ・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
出典:青空文庫