・・・それからの一年半の長い長い天との婚約の試練も今夜で果てたのだ。これからは一人の主に身も心も献げ得る嬉しい境涯が自分を待っているのだ。 クララの顔はほてって輝いた。聖像の前に最後の祈を捧げると、いそいそとして立上った。そして鏡を手に取って・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・これはまことに国民の試練の時であります。このときに亡びないで、彼らは運命のいかんにかかわらず、永久に亡びないのであります。 越王勾践呉を破りて帰るではありません、デンマーク人は戦いに敗れて家に還ってきました。還りきたれば国は荒れ、財は尽・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・彼もまたこの試練によってそれを深めてゆくのでしょう。私はそれを美しいと思います。 Aの家へ私が着いたときは偶然新らしく東京へ来た連中が来ていました。そしてAの問題でAと家との間へ入った調停者の手紙に就て論じ合っていました。Aはその人達を・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・ それでは大学入学の資格はどうしてきめるかとの問に対して、「偶然に支配されるような火の試練でなく、一体の成績によればいい。これは教師にはよく分るもので、もし分らなければ罪はやはり教師にある。教案が生徒を圧迫する度が少なければ少ないほ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・単に理屈がうまいとか、口調がいいとかいうだけでは決して長い時の試練に堪えないかと思われる。従来の地名の研究には私の知る限りこの必要条件の考察が少しも加わっていないではないかと思われる。この条件が何であるかについては他日また愚見を述べて学者の・・・ 寺田寅彦 「火山の名について」
・・・が数千年の間にわれらの祖先が受けて来た試練の総勘定であるかもしれない。そのおかげで帝都の復興が立派にできて、そうして七年後の今日における円タクの洪水、ジャズ、レビューのあらしが起こったのかもしれない。 三島の町の復旧工事の早いのにも驚い・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・そのように少なくも二千年かかって研究しつくされた結果に準拠して作られた造営物は昨年のような稀有の颱風の試煉にも堪えることが出来たようである。 大阪の天王寺の五重塔が倒れたのであるが、あれは文化文政頃の廃頽期に造られたもので正当な建築法に・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・わが国のようにこういう災禍の頻繁であるということは一面から見ればわが国の国民性の上に良い影響を及ぼしていることも否定し難いことであって、数千年来の災禍の試練によって日本国民特有のいろいろな国民性のすぐれた諸相が作り上げられたことも事実である・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・コンクリート造りといえども長い将来の間にまだ幾多の風土的な試練を経た上で、はじめてこの国土に根をおろすことになるであろう。試験はこれからである。 住居に付属した庭園がまた日本に特有なものであって日本人の自然観の特徴を説明するに格好な事例・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・もちろん天稟の素質もあったに相違ないが、また一方数奇の体験による試練の効によることは疑いもない事である。殿上に桐火桶を撫し簾を隔てて世俗に対したのでは俳人芭蕉は大成されなかったに相違ない。連歌と俳諧の分水嶺に立った宗祇がまた行脚の人であった・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
出典:青空文庫