・・・かれの、はっきりすぐれたる或る一篇の小説に依り、私はかれと話し合いたく願っていた。相州鎌倉二階堂。住所も、忘れてはいなかった。三度、ながい手紙をさしあげて、その都度、あかるい御返事いただいた。私がその作家を好きであるのと丁度おなじくらいに、・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・帯は、あたしのフレンドからの借りものゆえ、ここへこうかけて置こうと、よどみなく告白しながら、その帯をきちんと畳んで、背後の樹木に垂れかけ、私たちは、たいへんやわらかな、おっとりした気持ちで、おとなしく話し合い、それから、城ヶ島とおぼしきあた・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・モーリスが馬と「話し合いで別れて」鹿と友だちになっているところは傑作である。「静かにお帰りください」で引き上げる狩人たちのスローモーションは少し薬がきき過ぎた形である。 舞踊会の「アパッシュの歌」とその画面は自分にはあまりおもしろくなか・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・みんなはいろいろ今のことを話し合いながら丘を下り、わかれてめいめいの家に帰りました。 九月四日「サイクルホールの話聞かせてやろうか。」 又三郎はみんなが丘の栗の木の下に着くやいなや、斯う云っていきなり形をあらわしまし・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・みんなは、蚕種取締所設置の運動のことやなにか、いろいろ話し合いましたが、こころの中では誰もみんな、山男がほんとうにやって来るかどうかを、大へん心配していました。もし山男が来なかったら、仕方ないからみんなの懇親会ということにしようと、めいめい・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・二日の晩は、随分二人の女房がいろいろ話し合いました。やっぱり車の両輪です。細君というものはなかなかむずかしいという話が彌生子さんの「小鬼の歌」につれて出て話し合いました。 知識人の生活のことについて舟橋は何もしないのはわるい、何でもやれ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・第一次欧州大戦のあと、ヨーロッパ諸国の心ある人々が男も女も、平和の永続のために、どんなに苦心し、話し合い調和点を見出そうと努力しつづけて来ていたかということは知らないものはない。第一次大戦の惨禍は生きているものに、平和を警告しつづける記念物・・・ 宮本百合子 「世界の寡婦」
・・・ 従って、藤村の自然への愛着にも、この人間関係の間において少からず抑えに抑えたるもののはけどころ、或は逃げどころ、人間よりは気の楽な話し合いてとしての自然という要素がある。西欧文学の波にうごかされ、高らかにロマンティシズムの調を謳いつつ・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
・・・それを歴史の背景の前に描こうとする時、主観の中にとじこもり、或は一般的に暖いもの、妥協的なもの、話し合いで分るものという先入観で感じられている人情のほの明りの中に溺れては、その中での歌はうたえても、現実を力強く彫り上げることは不可能であろう・・・ 宮本百合子 「パァル・バックの作風その他」
・・・ 夕方、山を眺めて涼みながら、私共は随分種々のことを話し合いました。 彼女が、どんなに故良人を愛慕しているかと云うことは、些細な言葉の端々にもうかがわれました。若し出来るなら、真個に一生彼の妻として終始したいと云う彼女の希望には微塵・・・ 宮本百合子 「ひしがれた女性と語る」
出典:青空文庫