・・・そのころの太郎はようやく小学の課程を終わりかけるほどで、次郎はまだ腕白盛りの少年であった。私は愛宕下のある宿屋にいた。二部屋あるその宿屋の離れ座敷を借り切って、太郎と次郎の二人だけをそこから学校へ通わせた。食事のたびには宿の女中がチャブ台な・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・私も小学校の課程は、北村君と同じ泰明小学校で修めた者だが、北村君よりはその弟の丸山古香君の方を、その時代にはよく覚えている。北村君は方々の私立学校を経て、今の早稲田大学が専門学校と云った時代の、政治科にいた事もあったと聞いた。当時の青年はこ・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・僕は、何ごとも、どっちつかずにして来て、この二年間で法科の課程を三分の一、それも不充分にしか卒えていない。しかも、他に、なにもできないのであった。そういった、アマツール的な気持からは、ただ、太宰治のくるしみを、肉体的に感じてくるばかりで、傍・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・全課程を冒険者や流血者の行列にしないために発明家や発見家も入れてもらいたい。」 歴史の時間の一部を割いて、実際の国家組織に関する事項、社会学や法律なども授けてはどうかという問に対してはむしろ不賛成だと答えている。彼自身個人としては公生活・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・普通教育にも理科の課程がかなり豊富にあるようであるから、それがよく呑み込めていれば、それだけでも一通りはかなり役に立つべきはずであるが、実際それがそうでないのは、教える方と教わる方と両方に罪があるであろう。教程や教授法にも改良の余地が沢山に・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
・・・彼らはただ現時の最高のアカデミックの課程を修得したルクレチウスにほかならないのである。 エネルギー不滅論の祖とせらるるロベルト・マイアーは最もよくルクレチウスの衣鉢を伝えた後裔であった。しかし彼は不幸にしてその当代の物理学に精通しなかっ・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・一時は自分の家に寝起きをしてまで学校へ通ったくらい関係は深いのであるが、大学へはいって以来下宿をしたぎり、四年の課程を終わるまで、とうとう家へは帰らなかった。もっとも別に疎遠になったというわけではない、日曜や土曜もしくは平日でさえ気に向いた・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・視て無益なることを悟るといえども、特立特行、世の毀誉をかえりみざることは容易にでき難きことにて、その生徒の魂気の続くかぎりをつくさしめ、あえて他の能力の発育をかえりみるにいとまなく、これがために業成り課程を終て学校を退きたる者は、いたずらに・・・ 福沢諭吉 「文明教育論」
・・・窮屈な文部省の綱目に支配された女学校の課程の中で、教育だけは先生の自由にまかされていたと見え、飢え饑えていた若い知識慾が、始めて満される泉を見出したのであった。 生徒として、私は不規則な我まま者であったが、千葉先生の時間は、一度でもおろ・・・ 宮本百合子 「弟子の心」
・・・朝の食事が終ると、夕飯が配られる迄、その間に僅かの休みが与えられるだけで、やかましい課程がきめられていた。日曜大祭日は、その労役が免除された。そういう日に、重吉たちは、限られた本をよむことが出来た。そのかわりに、その日は食事の量が減らされた・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫