・・・得れば好かれぬまでも嫌われるはずはござらぬこれすなわち女受けの秘訣色師たる者の具備すべき必要条件法制局の裁決に徴して明らかでござるとどこで聞いたか氏も分らぬ色道じまんを俊雄は心底歎服し満腹し小春お夏を両手の花と絵入新聞の標題を極め込んだれど・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ それを聞いてから、私は両手に持てるだけ持っていた袋包みをどっかとお徳の前に置いた。「きょうはみんなの三時にと思って、林檎を買って来た。ついでに菓子も買って来た。」「旦那さんのように、いろいろなものを買って提げていらっしゃるかた・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・七人とも上着の扣鈕をみな掛けて、襟を立てて、両手をずぼんの隠しに入れている。話声もしない。笑声もしない。青い目で空を仰ぐような事もない。鈍い、悲しげな、黒い一団をなして、男等は並木の間を歩いている。一方には音もなくどこか不思議な底の方から出・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・始めから終りまで千鳥の話を詳しく見てしまうまでは、翳す両手のくたぶれるのも知らぬ。袖を畳むとこう思う。この袂の中に、十七八の藤さんと二十ばかりの自分とが、いつまでも老いずに封じてあるのだと思う。藤さんは現在どこでどうしていてもかまわぬ。自分・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・甲、両手を上沓に嵌御覧よ。あの人の足はこんなに小さいのよ。そして歩き付きが意気だわ。お前さんまだあの人の上沓を穿いて歩くとこは見たことがないでしょう。御覧よ。こうして歩くのだわ。それからおこるとね、こ・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・ しかして両手をさし出してだまったなりでいのりました。子どもの額からは苦悶の汗が血のしたたりのように土の上に落ちました。「神様、私の命をおめしになるとも、この子の命だけはお助けください」 といのると、頭の上で羽ばたきの音がします・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・けれども、大学生は、レインコオトのポケットに両手をつっこんだまま、さっさと歩いた。女は、その大学生の怒った肩に、おのれの丸いやわらかな肩をこすりつけるようにしながら男の後を追った。 大学生は、頭がよかった。女の発情を察知していた。歩きな・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・押し寄せるたびに脣を噛み、歯をくいしばり、脚を両手でつかんだ。 五官のほかにある別種の官能の力が加わったかと思った。暗かった室がそれとはっきり見える。暗色の壁に添うて高いテーブルが置いてある。上に白いのは確かに紙だ。ガラス窓の半分が破れ・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ 門番があっけに取られたような風をして、両手の指を組み合せて、こう云った。「どうでも大臣か何かにおなりになるのではございますまいか。わたくしは議事堂に心安いものを持っています。食堂の給仕をいたしております。もしこれから何か御用がおありな・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・ただ話が佳境に入って来ると多少の身振りを交じえる。両手を組合したり、要点を強めるために片腕をつき出したり、また指の端を唇に触れたりする。しかし身体は決して動かさない。折々彼の眼が妙な表情をして瞬く事がある。するとドイツ語の分らない人でも皆釣・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫