・・・眼力、紙背を貫くというのだから、たいへんである。いい気なものである。鋭さとか、青白さとか、どんなに甘い通俗的な概念であるか、知らなければならぬ。 可哀そうなのは、作家である。うっかり高笑いもできなくなった。作品を、精神修養の教科書として・・・ 太宰治 「一歩前進二歩退却」
・・・私の三人の知人は、心から満洲を愛し、素知らぬ振りして満洲に住み、全人類を貫く「愛と信実」の表現に苦闘している様子であります。 太宰治 「三月三十日」
・・・ 真間川の水は絶えず東へ東へと流れ、八幡から宮久保という村へとつづくやや広い道路を貫くと、やがて中山の方から流れてくる水と合して、この辺では珍しいほど堅固に見える石づくりの堰に遮られて、雨の降って来るような水音を立てている。なお行くこと・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・あれは遠い丸の内、それでも天気のいい時には吃驚りするほど座敷の障子を揺る事さえある、されば、すぐ崖下に狐を打殺す銃声は、如何に強く耳を貫くであろう。家中の女共も同じ事、誰れか狐に喰いつかれはしまいか。お狐様は家の中まで荒れ込んで来はしまいか・・・ 永井荷風 「狐」
・・・と細き糸ふって波うたせたる時の如くに人々の耳を貫く。 読み終りたるギニヴィアは、腰をのして舟の中なるエレーンの額――透き徹るエレーンの額に、顫えたる唇をつけつつ「美くしき少女!」という。同時に一滴の熱き涙はエレーンの冷たき頬の上に落つる・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・即ち昔は一元的、今は二元的である、すべて孝で貫き忠で貫く事はできぬ。これは想像の結果である。昔の感激主義に対して今の教育はそれを失わする教育である、西洋では迷より覚めるという、日本では意味が違うが、まあディスイリュージョン、さめる、というの・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・無論マクベスの発端のように行数は短かくても、興味の上において全篇を貫く重みのあるものは論外であるが、平々凡々たるしかも十行内外の一段を設けるのは、話しの続きをあらわすためやむをえず挿入したのだと見え透くように思われる。換言すれば彼の戯曲のあ・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・啻に白頭の故老のみならず、青年以上有為の士人中にも、一切万事有形も無形も文明主義の一以て之を貫くと敢て公言して又実際に之を実行しながら、独り男女両性の関係に就ては旧儒教流の陋醜を利用して、自から婬猥不倫の罪を免れんとする者あるこそ可笑しけれ・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 砂を飛ばしてころがるとき、陽子の胸を若々しい歓ばしさと一緒に小さい鋭い悲しさが貫くのであった。転がれ、転がれ、わがからだ! 夫のいない世界まで。悲しみのない処まで!「ウワーイ!」 犬ころのように、陽子は悌と並んだり、篤介とぶつ・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・これらのその道の人達は自分たちの職域を通じて農林省、農会、営団を貫くからくりに通暁しているからこそ、公正な人民管理を主張しているのである。 解毒剤 あらゆる面で、生活の正常な機能を破壊された七千万の日本人民が、・・・ 宮本百合子 「女の手帖」
出典:青空文庫