・・・ これは堤防の上を歩みながら見る右側の眺望であるが、左側を見れば遠く小工場の建物と烟突のちらばらに立っている間々を、省線の列車が走り、松林と人家とは後方の空を限る高地と共に、船橋の方へとつづいている。高地の下の人家の或処は立て込んだり、・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・しかもわれらが斃れる時、われらの烟突が西洋の烟突の如く盛んな烟りを吐き、われらの汽車が西洋の汽車の如く広い鉄軌を走り、われらの資本が公債となって西洋に流用せられ、われらの研究と発明と精神事業が畏敬を以て西洋に迎えらるるや否やは、どう己惚れて・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・風号び雲走り、怒濤澎湃の間に立ちて、動かざること巌の如き日蓮上人の意気は、壮なることは壮であるが、煙波渺茫、風静に波動かざる親鸞上人の胸懐はまた何となく奥床しいではないか。 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・ 汽車は走り続けた。 彼は、警官の密集を利用しようとする、本能的な且つ職業的な彼一流の計画を忘れて、その小僧っ子に、いつか全幅の考えを奪われてしまった。 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・と、裲襠を引き摺ッたまま走り寄り、身を投げかけて男の肩を抱いた。「ははははは。門迷いをしちゃア困るぜ。何だ、さッきから二階の櫺子から覗いたり、店の格子に蟋蟀をきめたりしていたくせに」と、西宮は吉里の顔を見て笑ッている。 吉里はわざと・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・れば、外国人の見る目如何などとて、その来訪のときに家内の体裁を取り繕い、あるいは外にして都鄙の外観を飾り、または交際の法に華美を装うが如き、誠に無益の沙汰にして、軽侮を来す所以の大本をば擱き、徒に末に走りて労するものというべきのみ。これを喩・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・わたくしはとうとう夢に向って走りました。ちょうど生埋めにせられた人が光明を求め空気を求めると同じ事でございます。 わたくしは突然今の夫を棄てて、パリイへ出て、昔あなたのおいでになる日の午後を待っていたように、パリイであなたが折々おいで下・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・まだ小さいのに気が荒かったゆえ、走り廻ってばかりいて、あれ危ないと思っても止める事が出来なんだ。ああ、この窓じゃ。あの子が夜遊に出て帰らぬ時は、わたしは何時もここに立って真黒な外を眺めて、もうあの子の足音がしそうなものじゃと耳を澄まして聞い・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ 秋の海名も無き島のあらはるゝ これより一目散に熱海をさして走り下りるとて草鞋の緒ふッつと切れたり。 草鞋の緒きれてよりこむ薄かな 末枯や覚束なくも女郎花 熱海に着きたる頃はいたく疲れて飢に逼りけれども層楼高・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・ 二疋の蟻は走ります。「兵隊さん、あすこにあるのなに?」「なんだうるさい、帰れ」「兵隊さん、いねむりしてんだい。あすこにあるのなに?」「うるさいなあ、どれだい、おや!」「昨日はあんなものなかったよ」「おい、大変だ・・・ 宮沢賢治 「ありときのこ」
出典:青空文庫