・・・尾上に雲あり、ひときわ高き松が根に起りて、巌にからむ蔦の上にたなびけり。立ち続く峰々は市ある里の空を隠して、争い落つる滝の千筋はさながら銀糸を振り乱しぬ。北は見渡す限り目も藐に、鹿垣きびしく鳴子は遠く連なりて、山田の秋も忙がしげなり。西はは・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ただ二人が唄う節の巧みなる、その声は湿りて重き空気にさびしき波紋をえがき、絶えてまた起こり、起こりてまた絶えつ、周囲に人影見えず、二人はわれを見たれど意にとめざるごとく、一足歩みては唄い、かくて東屋の前に立ちぬ。姉妹共に色蒼ざめたれど楽しげ・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・たちまちにして悪声が起こり、瓦石の雨が降った。群衆はしかしあやしみつつ、ののしりつつもひきつけられ、次第に彼の熱誠に打たれ、動かされた。夜は草庵に人々が訪ねて教えをこいはじめた。彼は唱題し、教化し、演説に、著述に、夜も昼も精励した。彼の熱情・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・例えばロシアに於ては、日露戦争の後に千九百五年の××が起り、欧洲大戦の終りに近く、千九百十七年の××が起っている。パリー・コムミュンの例をとって見ても、この事実は肯かれる。プロレタリアートは、その時期を××しなければならぬ。「××××戦・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・けだし疑うらくはここらを領せし人の名などより、たけ光の庄、たけ光の山などとの称の起りたるならんか。いと古くより秩父の郡に拠りて栄えたる丹の党には、その初めてここに来りし丹治比武信、また初めてここを領せし武経などの如く、武の字を名につけたるも・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・しかしこの思想を一の人生観として取り上げる時、そこに当然消極か積極かという問題が起こり来たらざるを得ないことは、すでにヨーロッパの論者が言っている通りである。而してその当然の解釈が、信ぜず従わずをもって単なる現状の告白とせず、進んでこれを積・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・世界大戦の終りごろ、一九二〇年ごろから今日まで、約十年の間にそれは、起りつつある。」きのう学校で聞いて来たばかりの講義をそのまま口真似してはじめるのだから、たまったものでない。「数学の歴史も、振りかえって見れば、いろいろ時代と共に変遷して来・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・離婚問題も慰藉料問題も鳥の世界には起こり得ないのである。 自分の到着前には雄が二羽いたそうである。その中の一羽がむやみに暴戻で他の一羽を虐待する。そのたびに今もいる鴨羽の雌は人間で言わば仲を取りなし顔とでもいったような様子でそば近く寄っ・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・ 巴里輸入の絵葉書に見るが如き書割裏の情事の、果してわが身辺に起り得たか否かは、これまたここに語る必要があるまい。わたしの敢えて語らんと欲するのは、帝国劇場の女優を中介にして、わたしは聊現代の空気に触れようと冀ったことである。久しく薗八・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・いつが起りということもなくもう久しい以前からそうなって畢った。彼は六十を越しても三四十代のもの、特に二十代のものとのみ交って居た。彼の年輩のものは却て彼の相手ではない。彼は村には二人とない不男である。彼は幼少の時激烈なる疱瘡に罹った。身体一・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫