・・・観念も時の支配の外に超然としていることの出来るものではない。我我の祖先は「神」と言う言葉に衣冠束帯の人物を髣髴していた。しかし我我は同じ言葉に髯の長い西洋人を髣髴している。これはひとり神に限らず、何ごとにも起り得るものと思わなければならぬ。・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ 路地口の石壇を飛上り、雲の峰が立った空へ、桟橋のような、妻恋坂の土に突立った、この時ばかり、なぜか超然として――博徒なかまの小僧でない。――ひとり気が昂ると一所に、足をなぐように、腰をついて倒れました。」 天地震動、瓦落ち、石・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・そして頸窪をその凭掛った柱で小突いて、超然とした。「へッ! 上りは停電。」「下りは故障だ。」 響の応ずるがごとく、四五人口々に饒舌った。「ああ、ああ、」「堪らねえなあ。」「よく出来てら。」「困ったわねえ。」と、つ・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ 寺田はしかしそんなあたりの空気にひとり超然として、惑いも迷いもせず、朝の最初の競走から1の番号の馬ばかり買いつづけていた。挽馬場の馬の気配も見ず、予想表も持たず、ニュースも聴かず、一つの競走が済んで次の競走の馬券発売の窓口がコトリと木・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・佐吉さんは、超然として、べつにお祭の晴着を着るわけでなし、ふだん着のままで、店の用事をして居ましたが、やがて、来る若者、来る若者、すべて派手な大浪模様のお揃いの浴衣を着て、腰に団扇を差し、やはり揃いの手拭いを首に巻きつけ、やあ、おめでとうご・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ わたくしは夜烏子がこの湯灌場大久保の裏長屋に潜みかくれて、交りを文壇にもまた世間にも求めず、超然として独りその好む所の俳諧の道に遊んでいたのを見て、江戸固有の俳人気質を伝承した真の俳人として心から尊敬していたのである。子は初め漢文を修・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・もちろんどこの国だって隣づき合がある以上はその影響を受けるのがもちろんの事だから吾日本といえども昔からそう超然としてただ自分だけの活力で発展した訳ではない。ある時は三韓また或時は支那という風に大分外国の文化にかぶれた時代もあるでしょうが、長・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・しかしまた一方には何事にも促らわれず、自由に自分の好む勉強ができるので、内に自ら楽むものがあった。超然として自ら矜持する所のものを有っていた。私の頃は高校ではドイツ語を少ししかやらなかったので、最初の一年は主として英語の注釈の附いたドイツ文・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・いわば、自分で独り角力を取っていたので、実際毀誉褒貶以外に超然として、唯だ或る点に目を着けて苦労をしていたのである。というのは、文学に対する尊敬の念が強かったので、例えばツルゲーネフが其の作をする時の心持は、非常に神聖なものであるから、これ・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・ 槇と云う名からして中年の寛容な父親を思わせる様なのに、くるくるとまといつかれても一向頓着しずに超然として居る様子が如何にもいい。 知らないうちに、昔の御大名の毛鎗の様な「けいとう」だの、何とあれは云ったか知らんポヤポヤした狐の尾の・・・ 宮本百合子 「後庭」
出典:青空文庫