・・・請負師が大叭の後でウーイと一ツをする。車掌が身体を折れるほどに反して時々はずれる後の綱をば引き直している。 麹町の三丁目で、ぶら提灯と大きな白木綿の風呂敷包を持ち、ねんねこ半纏で赤児を負った四十ばかりの醜い女房と、ベエスボオルの道具を携・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・昼中でも道行く人は途絶えがちで、たまたま走り過る乗合自動車には女車掌が眠そうな顔をして腰をかけている。わたくしは夕焼の雲を見たり、明月を賞したり、あるいはまた黙想に沈みながら漫歩するには、これほど好い道は他にない事を知った。それ以来下町へ用・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・ゴーと云って向うの穴を反対の方角に列車が出るのを相図に、こっちの列車もゴーと云って負けない気で進行し始めた。車掌が next station Post-office といってガチャリと車の戸を閉めた。とまるたびにつぎの停車場の名を報告するの・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・待合室で白い服を着た車掌みたいな人が蕎麦も売っているのはおかしい。 *船はいま黒い煙を青森の方へ長くひいて下北半島と津軽半島の間を通って海峡へ出るところだ。みんなは校歌をうたっている。けむりの影は波にうつって黒い鏡・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・三人の席の横に、赤い帽子をかぶったせいの高い車掌が、いつかまっすぐに立っていて云いました。鳥捕りは、だまってかくしから、小さな紙きれを出しました。車掌はちょっと見て、すぐ眼をそらして、というように、指をうごかしながら、手をジョバンニたちの方・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・一人石をひろうところ見たんだが…… モスクワを出た時車掌が入って来て、急いで窓のシェードを引きおろし、 ――こうしとかなくちゃいけません。と云った。 ――何故? ――石をなげつけるんです。 自分は信じられなかったから・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
バスの婦人車掌は、後から後からと降りる客に向って、いちいち「ありがとうございます」「ありがとうございます」と云っています。あれは関西の方からもって来られた風だそうですが、混雑の朝夕、それでなくてさえ切符切りで上気せている小・・・ 宮本百合子 「ありがとうございます」
・・・ ゆうべ、八時頃、下から登って来たら、バスの女車掌が運転手と、あした、八百名、自由行動だってさ、晴れたら歩くだろう、と話していた。その八百名のほかにも、襟に黄色い菊飾のしるしをつけたような善光寺詣りの連中がのぼって来ているだろうのに、山・・・ 宮本百合子 「上林からの手紙」
・・・逓信省で車掌に買って渡す時計だとかで、頗る大きいニッケル時計なのである。針はいつもの通り、きちんと六時を指している。「おい。戸を開けんか。」 女中が手を拭き拭き出て来て、雨戸を繰り開ける。外は相変らず、灰色の空から細かい雨が降ってい・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・この車の軌道を横たわるに会えば、電車の車掌といえども、車をとめて、忍んでその過ぐるを待たざることを得ない。 そしてこの車は一の空車に過ぎぬのである。 わたくしはこの空車の行くにあうごとに、目迎えてこれを送ることを禁じ得ない。わたくし・・・ 森鴎外 「空車」
出典:青空文庫