・・・ そして、列車は轟然たる車輪の響きを高めつゝ橋にさしかゝった。速力は加わったようだった。線路はどこまでも二本が平行して完全だった。ところが、中ほどへ行くと不意にドカンとして機関車は脚を踏みはずした挽馬のように、鉄橋から奔放にはね出してし・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・枕の下に、すさまじい車輪疾駆の叫喚。けれども、私は眠らなければならぬ。眼をつぶる。イマハ山中、イマハ浜、――童女があわれな声で、それを歌っているのが、車輪の怒号の奥底から聞えて来るのである。 祖国を愛する情熱、それを持っていない人があろ・・・ 太宰治 「鴎」
・・・檻の底に車輪の脚がついているらしくからからと音たてて舞台へ滑り出たのである。頬被りしたお客たちの怒号と拍手。少年は、ものうげに眉をあげて檻の中をしずかに観察しはじめた。 少年は、せせら笑いの影を顔から消した。刺繍は日の丸の旗であったのだ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・ ばりばりと音たててKの傘が、バスの車輪にひったくられて、つづいてKのからだが、水泳のダイヴィングのようにすらっと白く一直線に車輪の下に引きずりこまれ、くるくるっと花の車。「とまれ! とまれ!」 私は丸太棒でがんと脳天を殴られた・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・これがために、いわゆるストロボスコープ的効果によって、進行せる自動車の車輪だけが逆回りをしたりするような怪異が出現し、舞踊する美人が千手観音に化けたりするのである。そうして、ひとコマの照射時間にその物自身の線長に対して比較さるべきほどの距離・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・この機械の主要な部分は発信機と受信機と両方に精密に同時に回転する車輪である。すべての仕掛けはこの車の同時調節によって有効になるので、試みにわざとちょっとばかりこの調節を狂わせると、もう受信機の印刷する文句はまるきり訳の分からぬ寝言にもならな・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・木材を満載したその荷馬車の車輪が道路の窪みの深い泥に喰い込んで動かなくなったのを、通行人が二人手を貸して動かそうとしていた。やっと動き出したので手をはなすと、馬士一人の力ではやはり一寸も動かない。「どうかもう少し願います。後生だから……」そ・・・ 寺田寅彦 「断片(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・凍結した霜夜の街を駆け行く人力車の車輪の音――またゴム輪のはまっていなかった車輪が凍てた夜の土と砂利を噛む音は昭和の今日ではもうめったに聞くことの出来ないものになってしまった。 だんだん近付いて来る車の音が宿の前で止まるかと思っていると・・・ 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
・・・そこへ重い荷物を積んだ自動荷車が来かかって、その一つの車輪をこの煉瓦に乗り上げた。煉瓦はちょうど落雁か何かで出来てでもいるようにぼろぼろに砕けてしまった。 この瞬間に、私の頭の中には「煉瓦が砕けるだろうか、砕けないだろうか」という疑問と・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・二人がその白い道を、肩をならべて行きますと、二人の影は、ちょうど四方に窓のある室の中の、二本の柱の影のように、また二つの車輪の輻のように幾本も幾本も四方へ出るのでした。そして間もなく、あの汽車から見えたきれいな河原に来ました。 カムパネ・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
出典:青空文庫