・・・ この某町から我村落まで七里、もし車道をゆけば十三里の大迂廻になるので我々は中学校の寄宿舎から村落に帰る時、決して車に乗らず、夏と冬の定期休業ごとに必ず、この七里の途を草鞋がけで歩いたものである。 七里の途はただ山ばかり、坂あり、谷・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・山の端削りて道路開かれ、源叔父が家の前には今の車道でき、朝夕二度に汽船の笛鳴りつ、昔は網だに干さぬ荒磯はたちまち今の様と変わりぬ。されど源叔父が渡船の業は昔のままなり。浦人島人乗せて城下に往来すること、前に変わらず、港開けて車道でき人通り繁・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ 狭い町は石畳になって、それに車の轍が深い溝をなして刻みつけられてあった。車道が人道に接する所には、水道の鉛管がはみ出していた。それが青白くされさびて、あがった鰻を思わせるような無気味な肌をさらしてうねっていた。 富豪の邸宅の跡には・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
アメリカのレビュー団マーカス・ショーが日本劇場で開演して満都の人気を収集しているようであった。日曜日の開演時刻にこの劇場の前を通って見ると大変な人の群が場前の鋪道を埋めて車道まではみ出している。これだけの人数が一人一人これ・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・立ている巡査の方へ向けてどんどん馳けて行く、気が気でない、今日も巡査に叱られる事かと思いながらもやはり曲乗の姿勢をくずす訳に行かない、自転車は我に無理情死を逼る勢でむやみに人道の方へ猛進する、とうとう車道から人道へ乗り上げそれでも止まらない・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・もちろんひとりもデストゥパーゴに挨拶するものもありませんでしたし、またデストゥパーゴはなるべくみんなに眼のつかないように車道との堺の並木のしたの陰影になったところをあるいているのでした。 どうもデストゥパーゴが大びらに陸軍の獣医たちなど・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・ やや蒲鉾なりの広い車道に沿うて、四方に鋪道が拡っていた。 東側の右角には、派手なくせに妙に陰気に見える桃色で塗った料理店の正面。左には、充分光線の流れ込まない、埃っぽく暗い裁縫店の大飾窓。板硝子の上の枠に、ボウルドフェイスの金文字・・・ 宮本百合子 「小景」
・・・ 尾張町の四つ角で電車を降り、大抵の時交番の側を竹川町の停留場まで行き、そこから反対側に車道を横切って第一相互の下まで行く。天気がよく、西日が眩ゆくもない時刻だとそれからまた尾張町へ戻って電車に乗る。 買物をすることなどは滅多になか・・・ 宮本百合子 「粗末な花束」
・・・ 冬凍った車道ですべらないようにモスクワの馬に、三つ歯どめの出た蹄鉄をつけている。新ソヴェトの滑らかなアスファルト道の上で、そういう蹄は高く朗かに鳴った。十一月中旬の、まだ合外套も歩いてる午後七時の往来に小さい籠を持ったリンゴ売が出てい・・・ 宮本百合子 「モスクワの辻馬車」
・・・ねっとりした緑の街路樹、急に煉瓦色のこまやかな建物の正面。車道を辷るシトロエンが夢のようなレモン色だ。女の赤い帽子、総ての色調を締める黒の男性散策者。 人は心を何ものかにうばわれたように歩く。……歩く。葉巻の煙、エルムの若葉の香、多くの・・・ 宮本百合子 「わが五月」
出典:青空文庫