・・・近い街道では車が軋る。中には重荷を積んだ車のやや劇しい響をさせるのもある。犬の身の辺には新らしいチャンの匂いがする。 この別荘に来た人たちは皆好い人であった。その好い人が町を離れて此処で清い空気を吸って、緑色な草木を見て、平日よりも好い・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・ 何処ともなしに、キリリキリリと、軋る轅の車の響。 鞠子は霞む長橋の阿部川の橋の板を、あっちこっち、ちらちらと陽炎が遊んでいる。 時に蒼空に富士を見た。 若き娘に幸あれと、餅屋の前を通過ぎつつ、 ――若い衆、綺麗な娘さん・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・ ギイギイと鎖の軋る音してさながら大濤の揺れるように揺れているその上を、彼女は自在に、ツツツ、ツツツとすり足して、腰と両手に調子を取りながら、何のあぶな気もなく微笑しながら乗り廻している。実際驚異すべき鮮かさである。私にはたんにそれが女学校・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・二つくらい次の部屋で、何か気配がして、開けたてに扉が軋る音が聞えてきた。サーベルの鞘が鳴る。武石は窓枠に手をかけて、よじ上り、中をのぞきこんだ。「分るか。」「いや、サモールがじゅんじゅんたぎっとるばかりだ。――ここはまさか、娘を売物・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 寒気が裂けるように、みしみし軋る音がした。 ペーチカへ、白樺の薪を放りこんだワーシカは、窓の傍によって聴き耳を立てた。二重硝子を透して遠くに、対岸の黒河の屋根が重い支那家屋の家なみが、黒く見えた。すべてがかたまりついた雪と氷ばかり・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・口を開けて鰯を吸う鯨の待ち構えている所まで来るやいなやキーと軋る音と共に厚樫の扉は彼らと浮世の光りとを長えに隔てる。彼らはかくしてついに宿命の鬼の餌食となる。明日食われるか明後日食われるかあるいはまた十年の後に食われるか鬼よりほかに知るもの・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・人の足音や車の軋る音で察するに会葬者は約百人、新聞流でいえば無慮三百人はあるだろう。先ずおれの葬式として不足も言えまい。…………………アアようよう死に心地になった。さっき柩を舁き出されたまでは覚えて居たが、その後は道々棺で揺られたのと寺で鐘・・・ 正岡子規 「墓」
・・・ 丘の稜は、もうあっちもこっちも、みんな一度に、軋るように切るように鳴り出しました。地平線も町も、みんな暗い烟の向うになってしまい、雪童子の白い影ばかり、ぼんやりまっすぐに立っています。 その裂くような吼えるような風の音の中から、・・・ 宮沢賢治 「水仙月の四日」
・・・喚ぶ声、叫ぶ声、軋る声、相応じて熱閙をきわめている。その中にも百姓の強壮な肺の臓から発する哄然たる笑声がおりおり高く起こるかと思うとおりおりまた、とある家の垣根に固く繋いである牝牛の長く呼ばわる声が別段に高く聞こえる。廐の臭いや牛乳の臭いや・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・直ぐにきいきいと轆轤の軋る音、ざっざっと水を翻す音がする。 花房は暫く敷居の前に立って、内の様子を見ていた。病人は十二三の男の子である。熱帯地方の子供かと思うように、ひどく日に焼けた膚の色が、白地の浴衣で引っ立って見える。筋肉の緊まった・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
出典:青空文庫