・・・それにしても、思い出す度にぞッとするのは、敵の砲弾でもない、光弾の光でもない、速射砲の音でもない、実に、僕の隊附きの軍曹大石という人が、戦線の間を平気で往来した姿や。これが、今でも、幽霊の様に、また神さまの様に、僕の心に見えとるんや。」・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・と入って来たのが一人の軍曹。自分をちょっと尻目にかけ、「御馳走様」とお光が運ぶ鮨の大皿を見ながら、ひょろついて尻餅をついて、長火鉢の横にぶっ坐った。「おやまあ可いお色ですこと」と母は今自分を睨みつけていた眼に媚を浮べて「何処で」・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 深山軍曹に引率された七人の兵士が、部落から曠野へ、軍装を整えて踏み出した。それは偵察隊だった。前哨線へ出かけて行くのだ。浜田も、大西も、その中にまじっていた。彼等は、本隊から約一里前方へ出て行くのである。 樹木は、そこ、ここにポツ・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・ 白樺の下で、軍曹が笑い声でこんなことを云っているのが栗本に聞えてきた。 栗本は銃を杖にして立ち上った。 兵士達は、靴を引きずりながら、草の上を進んだ。彼等は湿って水のある方へ出て行った。草は腰の帯革をかくすくらいに長く伸び茂っ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・どうも、この、恋人の兄の軍曹とか伍長とかいうものは、ファウストの昔から、色男にとって甚だ不吉な存在だという事になっている。 その兄が、最近、シベリヤ方面から引揚げて来て、そうして、ケイ子の居間に、頑張っているらしいのである。 田島は・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・一箇の釜は飯が既に炊けたので、炊事軍曹が大きな声を挙げて、部下を叱して、集まる兵士にしきりに飯の分配をやっている。けれどこの三箇の釜はとうていこの多数の兵士に夕飯を分配することができぬので、その大部分は白米を飯盒にもらって、各自に飯を作るべ・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・僕、お前を軍曹にするよ。そのかわり少し働いてくれないかい」 むぐらはびくびくして尋ねました。 「へいどんなことでございますか」 ホモイがいきなり、 「鈴蘭の実を集めておくれ」と言いました。 むぐらは土の中で冷汗をたらして・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・そこへこの舞台にとって最もふさわしい野心と賢さと狂気とをもったヒットラーというオーストリアの軍曹がナチスという政党をひきいて現れた。地方的な小政党であったナチスを一九三三年の選挙で第一党にした背後の力は、国内では軍需生産企業の親玉たちと保守・・・ 宮本百合子 「それらの国々でも」
出典:青空文庫