・・・宗教を軽視し、信仰を侮辱することもまた甚しいと言わなければならない。 わたくしは齠齔のころ、その時代の習慣によって、夙く既に『大学』の素読を教えられた。成人の後は儒者の文と詩とを誦することを娯しみとなした。されば日常の道徳も不知不識の間・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・各国家民族が何処までも自己に即しながら、自己を越えて一つの世界を形成すると云うことは、各国家民族を否定するとか軽視するとかと云うことではない。逆に各国家民族が自己自身に還り、自己自身の世界史的使命を自覚することによって、結合して一つの世界を・・・ 西田幾多郎 「世界新秩序の原理」
・・・彼女は、新カント派と多くの論戦を交えたが、弁証法を軽視し、その思惟が機械的だったことは、結局道徳律の問題において彼女を敵の陣営――彼女が一生涯それらと闘ったその敵の陣営に導いた。」 大体思索し得る女流の間に道徳家が多いのは何故であろうか・・・ 宮本百合子 「婦人作家は何故道徳家か? そして何故男の美が描けぬか?」
・・・それを特に何事かの欠如に帰して考えようとするのは、偶像礼拝の心理をあまりにも軽視するからである。かの時代においては宗教家は何らかの程度において必ず芸術家でなければならなかった。それは当時の宗教の内奥から出た必然であった。そうしてそこに偶像礼・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
・・・は青春期においては、その感覚的刺激の烈しくない理由によって、きわめて軽視されやすいものです。しかしその重大な意義は中年になり老年になるに従ってますます明らかに現われて来ます。青春の弾性を老年まで持ち続ける奇蹟は、ただこの教養の真の深さによっ・・・ 和辻哲郎 「すべての芽を培え」
・・・二 私はこの出来事が小さい家常茶飯の事であるゆえをもって、その時の自分の心の態度を軽視する事はできなかった。むしろそれがきわめて単純にまた明白に、自分の運命に対する愛と反撥とを示してくれたゆえをもって、いくらかの感謝の内にこ・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫