・・・こうして若い時から世の辛酸を嘗めつくしたためか、母の気性には濶達な方面とともに、人を呑んでかかるような鋭い所がある。人の妻となってからは、当時の女庭訓的な思想のために、在来の家庭的な、いわゆるハウスワイフというような型に入ろうと努め、また入・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・ 人間は、希望と光明を持てばこそ、はじめて、幾多の辛酸を凌いでも、前へ、前へと進んで来たのである。人間が、年若くして、人生を美しいと思った。その信念には、間違いがない筈であった。自然は美しく、大空はかくの如く自由であると考えた。思想は、・・・ 小川未明 「人間否定か社会肯定か」
・・・永田は遠からず帰朝すると言うし、高瀬は山の中から出て来たし、いよいよ原も家を挙げて出京するとなれば、連中は過ぐる十年間の辛酸を土産話にして、再び東京に落合うこととなる。不取敢、相川は椅子を離れた。高く薄暗い灰色の壁に添うて、用事ありげな人々・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・この薄命な、しかしねばり強い人が、どれほどのこの世の辛酸を経たあとで、今の静かな生活にはいったか、私もそうくわしいことを知らない。かつみさんは、私の子供たちを見に来たいと思いながら今までそのおりもなかったこと、ようやく青山の姪に連れられて来・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・ダヴィンチは、ばかな一こくの辛酸を嘗めて、ジョコンダを完成させたが、むざん、神品ではなかった。神と争った罰である。魔品が、できちゃった。ミケランジェロは、卑屈な泣きべその努力で、無智ではあったが、神の存在を触知し得た。どちらが、よけい苦しか・・・ 太宰治 「俗天使」
・・・幼い頃から世の辛酸を嘗めて来た人に特有の、磊落のように見えながらも、その笑顔には、どこか卑屈な気弱い影のある、あの、はにかむような笑顔でもって、お傍の私たちにまでいちいち叮嚀にお辞儀をお返しなさるのでした。無理に明るく無邪気に振舞おうと努め・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・ いちばんおしまいの場面で、淪落のどん底に落ちた女が昔の友に救われてその下宿に落ち着き、そこで一皿の粥をむさぼり食った後に椅子に凭ってこんこんとして眠る、その顔が長い間の辛酸でこちこちに固まった顔である。それが忽然として別の顔に変わる。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・そうしてむしろかえってさんざん道楽をし尽くしたような中年以上のパトロンと辛酸をなめ尽くして来た芸妓との間の淡くして深い情交などにしばしば最も代表的なノルマールな形で実現されたもののようである。 江戸の言葉で粋と言ったのは現代語をもってし・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(※[#ローマ数字7、1-13-27])」
・・・そういう辛酸をなめた文化の貢献者がどこのだれかということは測量部員以外だれも知らない。 登山流行時代の今日スポーツの立場から嶮岨をきわめ、未到の地を探り得てジャーナリズムをにぎわしたような場合でも、実は古い昔に名の知れない測量部員が一度・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・そして、病父のためにえらい辛酸を経験した。 作人はその間に、魯迅と一緒にあずけられた家から祖父の妾の家へ移って、勉学のかたわら獄舎の祖父の面会に行ったり、「親戚の少女と淡い、だが終生忘られない初恋を楽しんだりしていた。」 魯迅と作人・・・ 宮本百合子 「兄と弟」
出典:青空文庫