・・・ 元来正賓は近年逆境におり、かつまた不如意で、惜しい雲林さえ放そうとしていた位のところへ、廷珸の侮りに遭い、物は取上げられ、肋は傷けられたので、鬱悶苦痛一時に逼り、越夕して終に死んでしまった。廷珸も人命沙汰になったので土地にはいられない・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・私より十一、年上であって、兄の頭は既に禿げて光り、井伏さんも近年めっきり白髪が殖えた。いずれもなかなか稽古がきびしかった。性格も互いにどこやら似たところがある。私は、しかし、この人たちに育てられたのだ。この二人に死なれたら、私はひどく泣くだ・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・ 洋画でも日本画でも人物の顔をなるべくスチューピッドに描く事が近年の流行のようである。悪趣味であると思う。これが東京音頭の流行となんらかの関係があるかどうかは不明であるが多少の関係があるかもしれない。 洋画の方に「測候所」があると、・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・能な説明としては、これは、ある時代、おそらくは宝永地震後、安政地震のころへかけて、この地方の地殻に特殊な歪を生じたために、表層岩石の内部に小規模の地すべりを起こし、従って地鳴りの現象を生じていたのが、近年に至ってその歪が調整されてもはや変動・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・植物学者ブラウンの物好きな研究はいったん世に忘れられたが、近年に到って分子説の有力な証拠として再び花が咲いたのである。実用方面でも幾多の類例がある。ガリレーの空気寒暖計は発明後間もなく棄てられたが、今日の標準はまた昔のガス寒暖計に逆戻りした・・・ 寺田寅彦 「科学上の骨董趣味と温故知新」
・・・ ところが、おかしなことにはつい近年になってこのM君の無意味らしく思われた言葉が少しずつ幾分かの意味を附加されて記憶の中に甦って来るような気がする、というのは、どうかして宴会や友達との会合などが引続いて毎日御馳走を喰っていると、その揚句・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・ それから、つい近年まで、法事のあるたんびに、日が同じだからと云うんで、忰の方も一緒にお供養下すって、供物がお国の方から届きましたが、私もその日になると、百目蝋燭を買って送ったり何かしたこともござえんしたよ。 ……それで仲間の奴等時・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・ わたくしは近年市街と化した多摩川沿岸、また荒川沿岸の光景から推察して、江戸川東岸の郊外も、大方樹木は乱伐せられ、草は踏みにじられ、田や畠も兵器の製造場になったものとばかり思込んでいたのであるが、来て見ると、まだそれほどには荒らされてい・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
近年新聞紙の報道するところについて見るに、東亜の風雲はますます急となり、日支同文の邦家も善鄰の誼しみを訂めている遑がなくなったようである。かつてわたくしが年十九の秋、父母に従って上海に遊んだころのことを思い返すと、恍として隔世の思いが・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・歯入屋も近年は大抵羅宇屋に似た車を曳いて来るようになった。 研屋は今でも折々天秤棒を肩にして、「鋏、庖丁、剃刀研ぎ」と呼わりながら門巷を過るが鋳掛屋の声はいつからとも知らず耳遠くなってしまった。是れ現代の家庭に在っては台所で使う鍋釜のた・・・ 永井荷風 「巷の声」
出典:青空文庫