・・・ 泰さんは始新蔵から、お島婆さんがお敏へ神を下して、伺いを立てると云う事を聞いた時に、咄嗟に胸に浮んだのは、その時お敏が神憑りの真似をして、あの婆に一杯食わせるのが一番近道だと云う事でした。そこで前にも云った通り、家相を見て貰うのにかこ・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・彼も家の出入には、苗床が囲ってあったりする大家の前庭を近道した。 ――コツコツ、コツコツ――「なんだい、あの音は」食事の箸を止めながら、耳に注意をあつめる科で、行一は妻にめくばせする。クックッと含み笑いをしていたが、「雀よ。パン・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・――路らしい路ではなかったがやはり近道だった。「遠そうだね」「あそこに木がこんもり茂っているだろう。あの裏に隠れているんだ」 停留所はほとんど近くへ出る間際まで隠されていて見えなかった。またその辺りの地勢や人家の工合では、その近・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・これは、私ひとりで見つけて置いた近道である。森の小路を歩きながら、ふと下を見ると、麦が二寸ばかりあちこちに、かたまって育っている。その青々した麦を見ていると、ああ、ことしも兵隊さんが来たのだと、わかる。去年も、たくさんの兵隊さんと馬がやって・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・桑畑のあいだを通って近道をすると、十分間くらいで行ける山の裾にその間に合せの県立病院があった。 眼科のお医者は女医であった。「この女の子のほうは、てんで眼があかないので困ります。田舎のほうに転出しようかとも考えているのですが、永い汽・・・ 太宰治 「薄明」
・・・むしろ日常身辺の自分に最も親しい物質の世界の事柄を深く注目し静かに観察してその事柄の真相をつき止めようという人間本然の傾向を助長し発育させるのが第一の近道であろう。それの手始めには、例えば風呂場に一本の寒暖計を備えるのも一策である。そうして・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
・・・それにはこの鳥の飛行する地上の高さを種々の場合に実測し、また同時に啼音のテンポを実測するのが近道であろう。鳥の大きさが仮定できれば単に仰角と鳥の身長の視角を測るだけで高さがわかるし、ストップ・ウォッチ一つあればだいたいのテンポはわかる。熱心・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・このような障害の根を絶つためには、一般の世間が平素から科学知識の水準をずっと高めてにせ物と本物とを鑑別する目を肥やしそして本物を尊重しにせ物を排斥するような風習を養うのがいちばん近道で有効ではないかと思ってみた。そういう事が不可能ではない事・・・ 寺田寅彦 「断水の日」
・・・まず現代でいちばん実用的な描写法としては世界的に知れ渡った映画スターなどのいろいろなタイプを借りて記載するのが近道であろうかと思われる。 国体や国民性の美醜にも言葉や教科書の文句では現わし難いものがある。それを学校生徒に教える唯一の道は・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・桜並木の小径をくだって、練兵場のやぶかげの近道を、いつも彼女が帰ってゆく土堤上の道にでると、もう夕映えも消えた稲田甫の遠くは紫色にもやっていた。「あなた、いつもここを、あの、いらっしゃったでしょ」 例の、肩をぶっつけるようにして、そ・・・ 徳永直 「白い道」
出典:青空文庫