・・・どく乗気になってくれて、その翌日弁当ごしらえをして、二人掛りで一日じゅう大阪じゅうを探し歩きましたが、何しろ秋山という名前と、もと拾い屋をしていたという知識だけが頼りですから、まるで雲を掴むような話、迷子を探すというわけには行きません。とう・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ある日、三人が帰ってみると、小隊長がいない。迷子になったのかと、三人のうちあわて者の照井はあわてた。ひとの真似ばかしする厄介な癖の白崎も、迷子になったのかとあわてた。が、間もなく小隊長は右隣の退職官吏の一人娘の一枝に送られて帰って来た。この・・・ 織田作之助 「電報」
・・・、イチゴ水、レモン水、冷やし飴、冷やしコーヒ、氷西瓜、ビイドロのおはじき、花火、水中で花の咲く造花、水鉄砲、水で書く万年筆、何でもひっつく万能水糊、猿又の紐通し、日光写真、白髪染め、奥州名物孫太郎虫、迷子札、銭亀、金魚、二十日鼠、豆板、しょ・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・これではまるで責任というものの概念がどこかへ迷子になってしまうようである。はなはだしい場合になると、なるべくいわゆる「責任者」を出さないように、つまりだれにも咎を負わさせないように、実際の事故の原因をおしかくしたり、あるいは見て見ぬふりをし・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・獄門の晒首や迷子のしるべ、御触れの掲示などにもまたしばしば橋の袂が最もふさわしい地点であると考えられた。これは云うまでもなく、橋が多くの交通路の集合点であって一種の関門となっているからである。従ってあらゆる街路よりも交通の流れの密度が大きい・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・「モスクワは大きい市ですから、三年いたってまだ迷子になったんです」 ドッと子供たちは笑う。お祖母さん先生も笑いながら、「おや、これから私どものところでは御飯ですから一緒にたべて下さい。それから……」 ぐるりと、かたまっている・・・ 宮本百合子 「従妹への手紙」
・・・ 法外な値だとは知りながら、すっかり勝手の違った東京の中央で、大きな迷子になる事も辛かったし、十銭二十銭の事に、けちけちする様に思われたくないと云う身柄にない見えもあった。 広い通りや、狭い通りを抜けて、走る電車の前を突切る早業に、・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・小林秀雄氏が最近の時評でいち早く自身が提唱した日本的なるものの迷子になることを予言しており、ヒューマニズムも同様に行方知れずになるだろうと言っておられる。日本的なるものがこれらの人々の間で迷子にならざるを得ない理由というものは誰にでも推察出・・・ 宮本百合子 「ヒューマニズムの諸相」
・・・暗夜、迷子になった息子を探しに出て歩きながら、「ふと自分も今自分の子供と同じような目にあっているのではないかと思われ」そのような有様に現代インテリゲンツィアの苦痛の姿を見る必然があるであろう。 現代の知識人は一つの世界苦につつまれている・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
・・・どこの誰の親の病気が直ったとか、どこの誰は迷子の居所を知らせて貰ったとか、若い者共が評判し合っていたのである。文吉は九郎右衛門にことわって、翌日行水して身を潔めて、玉造をさして出て行った。敵のありかと宇平の行方とを伺って見ようと思ったのであ・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫