・・・それじゃ退学にならずにいません。佐原の出で、なまじ故郷が近いだけに、外聞かたがた東京へ遁出した。姉娘があとを追って遁げて来て――料理屋の方は、もっとも継母だと聞きましたが――帰れ、と云うのを、男が離さない。女も情を立てて帰らないから、両方と・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・間もなく退学届を出した。そして大阪の家へ帰った。三 学校をやめたと聞いて、「やめんでもええのに。しやけど、お前がやめよう思うんやったら、そないしたらええ」 と、お君は依然としてお君であったが、しかし、お君の眼のまわり・・・ 織田作之助 「雨」
・・・細君は北浜の相場師の娘だったが、家が破産して女専を二年で退学し、芸者に出なければならぬ破目になっていたところを、世話する人があって天辰へ嫁いだのだった。勿論結納金はかなりの金額で、主人としては芸者を身うけするより、学問のある美しい生娘に金を・・・ 織田作之助 「世相」
・・・もっとも、奴さんはその工場でたった一人の大学出だということも社長のお眼鏡に適ったらしいんだが、なに、奴さん大学は中途退学で、履歴書をごまかして書いたんですよ。いまじゃ社長の女婿だというんで、工場長というのに収まってしまって、ついこの間までは・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・校に出していたのが、二人とも何一つ学び得ず、いくら教師が骨を折ってもむだで、到底ほかの生徒といっしょに教えることはできず、いたずらに他の腕白生徒の嘲弄の道具になるばかりですから、かえって気の毒に思って退学をさしたのだそうです。 なるほど・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・帝大の経済科を中途退学して、そうして、何もしない。月々、田舎から充分の仕送りがあるので、四畳半と六畳と八畳の、ひとり者としては、稍や大きすぎるくらいの家を借りて、毎晩さわいでいる。もっとも、騒ぐのは、男爵自身ではなかった。訪問客が多いのであ・・・ 太宰治 「花燭」
・・・ 十四歳のとき Harrow に入ったが、二年級になってから胸の病を得て退学した。生命もどうかと気遣われたが幸いに快癒したので今度は Rev. G. T. Warner の学校に入ってそこで四年間の修業をした。その間に一度 Cambri・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・ 明治十二年に茨城県の国生という村の相当の家に生れた長塚節は水戸中学を卒業しないうちに病弱で退学し『新小説』などに和歌を投稿しはじめた。 正岡子規が有名な「歌よみに与ふる書」という歌壇革新の歌論を日本新聞に発表したのは明治三十一年で・・・ 宮本百合子 「「土」と当時の写実文学」
・・・ ハフは、三度も落第して、父親の卒業した名誉ある学校を退学させられました。 ハリは、その時、「彼は頭はあるんだ。勿論、指導者を見つけてやることも出来る。然し、あれの持たない、そして持つことの出来ないものが、ハフに学校をやめさせるのだ・・・ 宮本百合子 「「母の膝の上に」(紹介並短評)」
・・・不就学、さもなければ小学中途退学が一番多い。 その低い文化水準を高めるために、経営者たちは工場の寄宿舎につめられている労働婦人にどんなものを読ませ、どんな講話をきかせているだろうか? 商業ジャーナリズムの一隅、工場御用雑誌営業者が歴・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
出典:青空文庫