・・・しかし五六人の小天使は鍔の広い帽子の上に、逆立ちをしたり宙返りをしたり、いろいろの曲芸を演じている。と思うと肩の上へ目白押しに並んだ五六人も乗客の顔を見廻しながら、天国の常談を云い合っている。おや、一人の小天使は耳の穴の中から顔を出した。そ・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・皆逆立ちです。そして、お雪さんの言葉に激まされたように、ぐたぐたと肩腰をゆすって、逆に、のたうちました。 ひとりでに、頭のてっぺんへ流れる涙の中に、網の初茸が、同じように、むくむくと、笠軸を動かすと、私はその下に、燃える火を思った。・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ や、もうその咳で、小父さんのお医師さんの、膚触りの柔かい、冷りとした手で、脈所をぎゅうと握られたほど、悚然とするのに、たちまち鼻が尖り、眉が逆立ち、額の皺が、ぴりぴりと蠢いて眼が血走る。…… 聞くどころか、これに怯えて、ワッと遁げ・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・には、「何にも出来んけりゃ、逆立ちして歩いてみろ!」 と、命じたが、彼に言わせると、「浪花節は上手な程よろしい。逆立ちは下手な程よろしい」 隊で逆立ちの一番下手なのは、大学出の白崎恭助一等兵だったから、白崎は落語家出身で浪花・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・帰って雇人に呉れてやり、お前行けと言うと、われわれの行くところでないと辞退したので、折角七円も出したものを近所の子供の玩具にするのはもったいない、赤玉のクリスマスいうてもまさか逆立ちで歩けと言わんやろ、なに構うもんかと、当日髭をあたり大島の・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ 彼は、一時に心臓の血が逆立ちして、思わず銃を持ち直した。すぐ様、火蓋を切ったものか、又は、様子をうかがったものか、瞬間、迷った。ほかの七人も棒立ちになって、一人の中山服を見つめた。若し、支那兵が一人きりなら、それを片づけるのは訳のない・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・その原稿に対しての、私の期待が大きすぎるのかも知れないが、私は戦線に、私たち丙種のものには、それこそ逆立ちしたって思いつかない全然新らしい感動と思索が在るのではないかと思っているのだ。茫洋とした大きなもの。神を眼のまえに見るほどの永遠の戦慄・・・ 太宰治 「鴎」
・・・常の私だったら、こんな乱暴な決意は、逆立ちしたってなしえなかったところのものなのであったが、盆地特有の酷暑で、少しへんになっていた矢先であったし、また、毎日、何もせず、ただぽかんと家主からの速達を待っていて、死ぬほど退屈な日々を送って、むし・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・こういう具合の経験の堆積には、私たち、逆立ちしたって負けである。そう思って、以後、気をつけていると、私の家主の六十有余の爺もまた、なんでもものを知っている。植木を植えかえる季節は梅雨時に限るとか、蟻を退治するのには、こうすればよいとか、なか・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・という嗄れた声を、耳元に囁かれ、愕然として振り向くと、ああ、王子の髪は逆立ちました。全身に冷水を浴びせられた気持でした。老婆が、魔法使いの老婆が、すぐ背後に、ひっそり立っていたのです。「何しに来た!」王子は勇気の故ではなく、あまりの恐怖・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
出典:青空文庫