・・・――もしこの時、良雄の後の障子に、影法師が一つ映らなかったなら、そうして、その影法師が、障子の引手へ手をかけると共に消えて、その代りに、早水藤左衛門の逞しい姿が、座敷の中へはいって来なかったなら、良雄はいつまでも、快い春の日の暖さを、その誇・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・彼等は二人とも赤褌をしめた、筋骨の逞しい男だった。が、潮に濡れ光った姿はもの哀れと言うよりも見すぼらしかった。Nさんは彼等とすれ違う時、ちょっと彼等の挨拶に答え、「風呂にお出で」と声をかけたりした。「ああ言う商売もやり切れないな。」・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・体格の逞しい谷村博士は、すすめられた茶を啜った後、しばらくは胴衣の金鎖を太い指にからめていたが、やがて電燈に照らされた三人の顔を見廻すと、「戸沢さんとか云う、――かかりつけの医者は御呼び下すったでしょうな。」と云った。「ただ今電話を・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・桶の後ろには小山のように、これもまた逞しい男が一人、根こぎにしたらしい榊の枝に、玉だの鏡だのが下ったのを、悠然と押し立てているのを見た。彼等のまわりには数百の鶏が、尾羽根や鶏冠をすり合せながら、絶えず嬉しそうに鳴いているのを見た。そのまた向・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・仁右衛門は農場に帰るとすぐ逞しい一頭の馬と、プラオと、ハーローと、必要な種子を買い調えた。彼れは毎日毎日小屋の前に仁王立になって、五カ月間積り重なった雪の解けたために膿み放題に膿んだ畑から、恵深い日の光に照らされて水蒸気の濛々と立上る様を待・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・大温にして小毒あり、というにつけても、普通、私どもの目に触れる事がないけれども、ここに担いだのは五尺に余った、重量、二十貫に満ちた、逞しい人間ほどはあろう。荒海の巌礁に棲み、鱗鋭く、面顰んで、鰭が硬い。と見ると鯱に似て、彼が城の天守に金銀を・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 三声を続けて鳴いたと思うと……雪をかついだ、太く逞しい、しかし痩せた、一頭の和犬、むく犬の、耳の青竹をそいだように立ったのが、吹雪の滝を、上の峰から、一直線に飛下りたごとく思われます。たちまち私の傍を近々と横ぎって、左右に雪の白泡を、・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ぶるぶると腕に力の漲った逞しいのが、「よし、石も婉軟だろう。きれいなご新姐を抱くと思え。」 というままに、頸の手拭が真額でピンと反ると、棒をハタと投げ、ずかと諸手を墓にかけた。袖の撓うを胸へ取った、前抱きにぬっと立ち、腰を張って土手・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・何か圧倒的に迫って来る逞しい迫力が感じられるのだ。ぐいぐい迫って来る。襲われているといった感じだ。焼けなかった幸福な京都にはない感じだ。既にして京都は再び大阪の妾になってしまったのかも知れない。 東京の闇市場は商人の掛声だけは威勢はいい・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・ 彼が風変りな題材と粘り強い達者な話術を持って若くして文壇へ出た時、私は彼の逞しい才能にひそかに期待して、もし彼が自重してその才能を大事に使うならば、これまでこの国の文壇に見られなかったような特異な作家として大成するだろうと、その成長を・・・ 織田作之助 「鬼」
出典:青空文庫