・・・ 中景の右の方は樫か何かの森で、灰色をした逞しい大きな幹はスクスクと立ち並んで次第に暗い奥の方へつづく。隙間もない茂りの緑は霜にややさびて得も云われぬ色彩が梢から梢へと柔らかに移り変っている。コバルトの空には玉子色の綿雲が流れて、遠景の・・・ 寺田寅彦 「森の絵」
・・・ が、秋山も小林も、決して、その逞しい足を動かし、その手を延ばそうとはしなかった。僅に、滅茶苦茶に涙を流しながら、引き起そうとする子供の力だけ、その冷たい首を上げるだけであった。 それでも、子供たちは、その小さな心臓がハチ切れるよう・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・お前のその骨に内攻した梅毒がそれ以上進行しないってことになれば、まだまだ大丈夫だ。 お前の手、腕、はますます鍛われて来た。お前の足は素晴らしいもんだ。お前の逞しい胸、牛でさえ引き裂く、その広い肩、その外観によって、内部にあるお前自身の病・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・阿蘭が農奴として育ち農婦として大地を愛して生きる強さ、農民的な粘着力、粗野な逞しい、謂わば必死な生活力をライナーの阿蘭は全面的に活かし得ているかどうかということについても、性格というものの解釈に附随するこの映画製作者関係者一同の或る心持が反・・・ 宮本百合子 「映画の語る現実」
・・・ 私は、こういう境遇にいる一人の母である作者が、永い将来の努力によって、次第に子供のための文学として、質量ともに逞しい生産をされることを切望する。その期待につれ、「村の月夜」で、私に印象された一つの疑問に触れたい。それは、この作者が、「・・・ 宮本百合子 「子供のために書く母たち」
・・・著者が益々、文芸批評の本来性として在る極々の要因を、情熱の源泉として身につけて、細密にして柔軟、逞しい成長をとげてくれることを切望するのは、作家としても決して私一人ではなかろうと思っている。〔一九四〇年三月〕・・・ 宮本百合子 「作家に語りかける言葉」
・・・沈着で口数をきかぬ、筋骨逞しい叔父を見たばかりで、姉も弟も安堵の思をしたのである。「まだこっちではお許は出んかい」と、九郎右衛門は宇平に問うた。「はい。まだなんの御沙汰もございません。お役人方に伺いましたが、多分忌中だから御沙汰がな・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ 緞帳の間から逞しい一本の手が延びると、床の上にはみ出ていた枕を中へ引き摺り込んだ。「陛下、今宵は静にお休みなされませ。陛下はお狂いなされたのでございます」 ペルシャの鹿の模様は鎮まった。彫刻の裸像はひとり円柱の傍で光った床の上・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・息子はペタルを踏み馴らした逞しい片足で果物を蹴っていた。果物屋の横には外科医があった。そこの白い窓では腫れ上った首が気惰るそうに成熟しているのが常だった。 彼はこれらの店々の前を黙って通り、毎日その裏の青い丘の上へ登っていった。丘は街の・・・ 横光利一 「街の底」
・・・薄明かりの坂路から怪物のように現われて来る逞しい牛の姿、前景に群がれる小さき雑草、頂上を黄橙色に照らされた土坡、――それらの形象を描くために用いた荒々しい筆使いと暗紫の強い色調とは、果たして「力強い」と呼ばるべきものだろうか。また自然への肉・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫