・・・何しろYの事だから、床の間には石版摺りの乃木大将の掛物がかかっていて、その前に造花の牡丹が生けてあると云う体裁だがね。夕方から雨がふったのと、人数も割に少かったのとで、思ったよりや感じがよかった。その上二階にも一組宴会があるらしかったが、こ・・・ 芥川竜之介 「片恋」
・・・それからその机の側にある、とうにニスの剥げた茶箪笥の上には、頸の細い硝子の花立てがあって、花びらの一つとれた造花の百合が、手際よくその中にさしてある。察する所この百合は、花びらさえまだ無事でいたら、今でもあのカッフェの卓子に飾られていたのに・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・が、金銀の造花の蓮は静かに輿の前後に揺いで行った。…… やっと僕の家へ帰った後、僕は妻子や催眠薬の力により、二三日は可也平和に暮らした。僕の二階は松林の上にかすかに海を覗かせていた。僕はこの二階の机に向かい、鳩の声を聞きながら、午前だけ・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・百合、撫子などの造花に、碧紫の電燈が燦然と輝いて――いらっしゃい――受附でも出張っている事、と心得違いをしていたので。 どうやら、これだと、見た処、会が済んだあとのように思われる。 ――まさか、十時、まだ五分前だ―― 立っていて・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 別製アイスクリーム、イチゴ水、レモン水、冷やし飴、冷やしコーヒ、氷西瓜、ビイドロのおはじき、花火、水中で花の咲く造花、水鉄砲、水で書く万年筆、何でもひっつく万能水糊、猿又の紐通し、日光写真、白髪染め、奥州名物孫太郎虫、迷子札、銭亀、金・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・ 本堂の傍に、こうした持込みの場合の便宜のために、別に式壇が設けられてあって、造花などひととおり飾られてあった。そこへ位牌堂から先祖の位牌が持ちだされて、父の遺骨が置かれた。思いがけなかった古い親戚の人たちもぼつぼつ集ってきた。村からは・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・鬼工であった、予は先生の遺稿に対する毎に、未だ曽て一唱三嘆、造花の才を生ずるの甚だ奇なるに驚かぬことはない。殊に新聞紙の論説の如きは奇想湧くが如く、運筆飛ぶが如く、一気に揮洒し去って多く改竄しなかったに拘らず、字句軒昂して天馬行空の勢いがあ・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・黒い布を掛け、青い十字架をつけ、牡丹の造花を載せた棺の側には、桜井先生が司会者として立っていた。讃美歌が信徒側の人々によって歌われた。正木未亡人は宗教に心を寄せるように成って、先生の奥さんと一緒に讃美歌の本を開けていた。先生は哥林多後書の第・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・黄色い絹のドレスも上品だし、髪につけているコスモスの造花も、いい趣味だ。田舎のじいさんと一緒である。じいさんは、木綿の縞の着物を着て、小柄な実直そうな人である。ふしくれだった黒い大きい右手には、先刻の菖蒲の花束を持っている。さては此の、じい・・・ 太宰治 「令嬢アユ」
・・・純白の毛糸のセエタアの、胸には、黄色い小さな薔薇の造花をつけている。机の前に少し膝を崩して坐り、それから眼鏡をはずして、にやにや笑いながらハンケチで眼鏡の玉を、せっせと拭いた。それが終ってから、また眼鏡をかけ、眼を大袈裟にぱちくりとさせた。・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
出典:青空文庫