・・・というを発句に連歌を奉っている位だ。飯綱山も愛宕山に負けはしない。武田信玄は飯綱山に祈願をさせている。上杉謙信がそれを見て嘲笑って、信玄、弓箭では意をば得ぬより権現の力を藉ろうとや、謙信が武勇優れるに似たり、と笑ったというが、どうして信玄は・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・俳句の季題と称するものは俳諧の父なる連歌を通して歴史的にその来歴を追究して行くと枕草子や源氏物語から万葉の昔にまでもさかのぼることができるものが多数にあるようである。私のいわゆる全機的世界の諸断面の具象性を決定するに必要な座標としての時の指・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・その線の途中から枝分かれをして連歌が生じ、それからまた枝が出て俳諧連句が生じた。発句すなわち今の俳句はやはり連歌時代からこれらの枝の節々を飾る花実のごときものであった。後に俳諧から分岐した雑俳の枝頭には川柳が芽を吹いた。 連歌から俳諧へ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ 短歌から連歌への変遷もやはり一種の進化と見られる。たとえば一個のポリプを二つにちぎって、それぞれに独立の生命を持たせ、そうしてあとでそれを次々に接枝して行って一つの群体を作ったというふうにも見られなくはない。俳句はそのようなものの頭だ・・・ 寺田寅彦 「俳句の型式とその進化」
・・・を通して「連歌の発句」に達し、そこで明白な一つの泉の源頭に行き着く。これは周知のことである。 しかし、川の流れをさかのぼって深い谷間の岩の割れ目に源泉を発見した場合にいわゆる源泉の探究はそれで終了したとしても、われわれはその泉の水が決し・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・しかし短歌連作をいろいろと開拓して行くうちにはあるいは一方ではおのずからいわゆる連歌の領域に接近し、したがってまた自然に連句とも形式ならびに内容において次第に接近して行くという事も充分可能である。他方ではまた、少なくも現在では連句とは全く別・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 面白やどの橋からも秋の不二 三島神社に詣でて昔し千句の連歌ありしことなど思い出だせば有り難さ身に入みて神殿の前に跪きしばし祈念をぞこらしける。 ぬかづけばひよ鳥なくやどこでやら 三島の旅舎に入りて一夜の宿りを請えば・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・大事の物なり。連歌に景曲と云いいにしえの宗匠深くつつしみ一代一両句には過ぎず。景気の句初心まねよきゆえ深くいましめり。俳諧は連歌ほどはいわず。総別景気の句は皆ふるし。一句の曲なくては成りがたきゆえつよくいましめおきたるなり。木導が春風景曲第・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 室町時代の中心は、応永永享のころであるが、それについて、連歌師心敬は、『ひとり言』の中でおもしろいことを言っている。元来この書は、心敬が応仁の乱を避けて武蔵野にやって来て、品川あたりに住んでいて、応仁二年に書いたものであるが、その書の・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫