・・・ 谷中から駒込までぶらぶら歩いて帰る道すがら、八百屋の店先の果物や野菜などの美しい色が今日はいつもよりは特別に眼についた。骨董屋の店先にある陶器の光沢にもつい心を引かれて足をとめた。 とある店の棚の上に支那製らしい壷のようなもの・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・今から三十余年の昔自分の高等学校学生時代に熊本から帰省の途次門司の宿屋である友人と一晩寝ないで語り明かしたときにこの句についてだいぶいろいろ論じ合ったことを記憶している。どんな事を論じたかは覚えていない。ところがこの二三年前、偶然な機会から・・・ 寺田寅彦 「思い出草」
・・・その後この歯医者がカシュガルに器械持参で出かけるついでの道すがらわざわざこのイブラヒム老人のためにその居村に立ち寄って、かねての話の入れ歯を作ってやろうと思った。老人を手術台にのせて口中を検査してみると、残った一本の歯というのがもうすっかり・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 去年の春、わたくしは物買いに出た道すがら、偶然茅葺屋根の軒端に梅の花の咲いていたのを見て、覚えず立ちどまり、花のみならず枝や幹の形をも眺めやったのである。東京の人が梅見という事を忘れなかったむかしの世のさまがつくづく思い返された故であ・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・漫歩の途次、思いかけずその処に行き当ったので、不意のよろこびと、突然の印象とは思立って尋ねたよりも遥に深刻であった。しかもそれは冬の日の暮れかかった時で、目に入るものは蒼茫たる暮烟につつまれて判然としていなかったのも、印象の深かった所以であ・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・ あらゆる文学は、この世俗の道への人間としての疑い、あるいはその道すがらなお魂を噛む苦しみがあることの承認から出発していたと思う。「愛情とは理由のない感情である。」「第一、恋愛とはそれ自身、認識不足によって生ずる感情の偏行にすぎない」と・・・ 宮本百合子 「「結婚の生態」」
・・・ 日本の歴史はその悲劇的な進行の道すがら、家庭を極めて防衛力の乏しいものとしてしまいました。親に頼らないということが大正時代の娘のほこりでありました。それは人格の社会的目ざめの一段階として考えられましたけれども、今日ではいくじのない娘が・・・ 宮本百合子 「自覚について」
・・・ゴーリキイが新進作家としてトルストイに会うようになった時、トルストイは散歩の道すがらなどでゴーリキイに話したのは農民の生活と女のことであった。トルストイは最も乱暴な云い方で女のことを話した。ゴーリキイは初めトルストイが、下層出身である自分を・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
・・・午前五時、私共は徹夜をした暁の散策の道すがら、草にかこまれた池に、白蓮を見た。靄は霽れきれぬ。花は濡れている。すがすがしさ面を打つばかりであった。 模糊とした私の蓮花図のむこうに、雨戸は今日も白々としまった一つの家がある。〔一九二七・・・ 宮本百合子 「蓮花図」
・・・かれは糸の一条を語りはじめた。たれも信ずるものがない、みんな笑った。かれは道すがらあうごとに呼びとめられ、かれもまた知る人にあえば呼びとめてこの一条を繰り返し繰り返し語りて自分を弁解し、そのたびごとにポケットの裏を返して見せて何にももってお・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
出典:青空文庫